信越本線の輸送のネックであった横川〜軽井沢間、碓氷峠のアブト式は平行する粘着新線を建設して、1963年(昭和38年)秋には移行し、廃止になる運命にありました。

 1962年7月15日には高崎〜横川間の電化が完成し、旅客列車は電気機関車牽引になりました。しかし、アブト式電気機関車ED42は最後の奮闘をしていました。ここでは、横川駅からラックレールとピにオン ギャが嚙み合い、アブト式運転に入る丸山エントランスまでを追ってみました。

 

 

 ED42、3連が機関区から出てきました。横川と軽井沢の構内では架線からの集電です。先頭のED4223のみパンタを上げています。他に機関車は構内で平坦ですので、力行をしていないのでしょうか?後部台車にある第3軌条からの集電子は上がっております。構内では本線のみに第3軌条があります。この写真の手前は下り副本線で、左側に第3軌条が見えます。

 

 

 ED42、3連は下り本線に転線し、旅客列車の後部に連結されます。先頭にもED42、1両が連結されます。

 

 

 横川を発車するとED42のねぐら横川機関区が左に見えます。粘着新線になるとEF63のねぐらになりました。そして今は、碓氷峠鉄道文化村になっております。

 

 

 横川から丸山変電所の近くまで、複線です。上り列車が下って来ました。ED42の後部の台車から第3軌条に集電子が延びているのが見えます。ここの第3軌条は地下鉄などと異なり、下面摺動式です。

 

 

 同じ列車の後部です。第3軌条は上面、側面を平板でカバーされています。踏切もありますので、安全上の考慮もあったと思いますが、寒冷地の為、降雪や霜の対策で、下面摺動形にして、このようなカバーも施したものでしょう?

 

 

 複線区間も終わり、裏妙義を背に列車はラックレールのエントランスに入ります。

 

 

 ラックレールのエントランスです。最徐行で各々のED42がラックレールとピニオンギャの嚙み込みを慎重に確かめ、気笛で合図しながら進みます。

 

 

  ラックとピニオンギャ嚙み合いアブト式運転に入り、66,7パーミルの急勾配に挑みます。エントランスの傍らには運転の無事を祈るためでしょうか?ほこらがありました。

 

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(2011-6-25)
(2016-9-22)更新


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