秋田市には仙台以外で、東北地方で唯一の市電がありました。雄物川河口の港町、土崎と秋田駅前を結んでいました。1963年(昭和38年)のゴールデンウィーク、4月27日夜、上野を発った東北鉄道旅行は5月1日、秋田中央交通軌道線に別れて、奥羽線の土崎駅に降り立ちました。しかし、市電の駅はかなり離れたところにありました 。
35 土崎 63-5-1
土崎停留所には30形35が待っていました。この電車は東京都交通局から譲り受けた都電150形、元王子電車の車です。同じものは、33〜35の3両あるようでした。
31 龍神通ー土崎 63-5-1
土崎の街を走る電車をすこし撮りました。雄物川の河口の港湾都市で、この地方の物資集散地として繁栄した面影のある街ですが、未舗装の道路の単線併用軌道の上を電車は走ります。この写真 の左奥の白い建物が龍神通駅で、秋田駅方面とのことです。(YNさまよりご教示頂きました) 30形31は都電の鋼体化前の3000形のスタイルです。都から木造車を購入し、車体を鋼体化したようです。都電3000形は鋼体化に際し、6000形と同じボディーをのせたようで、この電車の方がオリジナルのスタイルで、当時でも、一寸、懐かしい感じでした。31,32の2両がこのスタイルでした。
31 龍神通ー土崎 63-5-1
電車は家の間をすりぬけ、走ります。
61 龍神通ー土崎 63-5-1
次に、60形、61が来ました。60形は1951年(昭和26年)に日立で、都電6000形をモデルに作ったもので、当然、6000形そっくりですが、ヘッドライトはおでこにあります。60〜63の4両あったようです。
202 八柳 63-5-1
61に乗り、秋田駅前に向かいました。八柳からは田んぼの中を走ります。 左奥に油田のやぐらが見えます。現在では、やぐらの形も変り、このあたりも市街地化したとのことです。(YNさま) 八柳では200形202と交換しました。200形、201、202は1959年(昭和34年)日車支店製の全鋼製ボギー車で秋田市電の看板電車です。しかし、スタイルは6000形を踏襲しています。
61 秋田駅前 63-5-1
全線7.3km、軌間1067mm、架線電圧DC600V、所要時間30分、20分ヘッドの運転でした。土崎から車庫にも寄らず、乗り通し、秋田駅前に到着しました。先を急いでいたようです。訪れた時は全て都電の末裔、もしくは、都電スタイルの電車でした。地方の市電では、都電はお手本であったようですが、これほど、都電に傾倒していたのは、土佐電鉄と双璧をなすものと思いました。
1889年(明治22年)に開業した馬車鉄道から長い歴史を有していた秋田市電も、1966年(昭和41年)3月、全線廃止になってしまいました。この訪問からわずか、3年後でした。
YNさまから、撮影地の詳細をご教示頂き、追記しました。謝意を表したいと思います。(2007-2-18)
参考文献
鉄道ピクトリアル、通巻135号 1962年8月 臨時増刊 私鉄車両めぐり第3分冊 「秋田市交通局」
(2006-3-5)
(2016-9-24)更新