炭鉱の街、福岡県大牟田市と県境を接して、熊本県荒尾市があります。国鉄鹿児島本線荒尾駅から旧炭住街 の緑ヶ丘まで、荒尾市営電気鉄道(荒尾市電)が走っていました。旧日本陸軍の敷設した線路を利用して、電車を走らせたもので、昭和24年(1949年)3月に開業、昭和25年(1950年)12月に全線開通しました。路線距離5.1km、ゲージ1067mm、全線単線、架線電圧DC500V(?)の電鉄線でした。市電と言っても、高床式電車が走る鉄道線でした。

しかし、営業成績は振るわず、で、訪れた年の10月には廃止になって終いました。僅か15年の薄命な鉄道でした。 

 

 

 

鹿児島本線荒尾駅裏を走るモハ17+モハ101 1964-4-27

 

  荒尾市電の電車は国鉄鹿児島本線荒尾駅の裏、山側を走り、市電荒尾駅に向かいます。国鉄荒尾駅に停車している列車は鹿児島発鳥栖行普通124レと思われます。DD51とC60の重連で牽引しています。

 

荒尾駅進入のD5145牽引貨物列車と市電荒尾駅のホーム(右端) 1964-4-27

 

 初期形D5145に牽かれた貨物列車が大牟田寄りから荒尾駅に進入してきます。その横に荒尾市電のホームが見えます。木造の仮設のようなホームです。

 

市電荒尾駅に進入するモハ17+モハ101  1964-4-27

 

 電車は雑草に埋もれた線路を走って来ました。

 

市電荒尾駅のモハ17+モハ101  1964-4-27

 

 所属電車はモハ17とモハ101の2両のみでした。

 昭和24年(1949年)の開業時、熊本電鉄から譲り受けた木造4輪単車モハ15、16 (名鉄の前身、名岐鉄道ー名古屋電気鉄道が郡部線用に製作したものを熊本電鉄が譲受した電車)で運行していましたが、昭和26年(1951年)に大阪の広瀬車両で半鋼小型ボギー電車を新製しました。モハ15,16の連番でモハ17とされたようです。

この電車は大きな窓を持ち軽快な感じですが、戦前のスタイルです。南海加太線の木造電車の鋼体化車体の図面により、製作されたのではないかとTHさんは推論されています。台車、電動機などはどこかの電車の中古品の流用と思われます。

 モハ101は元水間鉄道モハ106(1939年、木南車両製)で、昭和27年(1952年)12月に譲り受けました。

 モハ101が入ると、モハ15、16は廃車になりました。

 モハ17、モハ101は共に窓配置1D8D1で、2段上昇窓、前面3枚窓のほぼ同じ昭和10年代のスタイルですが、窓の大きさ、幕板の幅、パンタグラフなどが異なり、やはり違う出自であるようです。 

 

市電荒尾駅で通学の高校生が下車  1964-4-27

 

  高校生の下校時間のようで、2両編成の電車は満員でした。高校生の登下校時が最も賑わったのでしょう。木製のホームは線路に両端にありましたが、写真の左側のホームは2両分無く、モハ101は前のドアから降りていました。

 

市電荒尾駅           1964-4-27

 

 市電荒尾駅は小さな木造の小屋のような駅舎があるだけでした。国鉄荒尾駅の裏を通りますが、連絡設備は無く、駅裏を通り過ぎ、大牟田寄りの踏切のある道に面して市電荒尾駅はありました。国鉄駅は海側にありますので、乗り換えはこの踏切を渡り、すこし、熊本方向に歩かねばなりませんでした。

 

折り返し待ちのモハ17+モハ101  市電荒尾駅  1964-4-27

 

  この日は先を急いだ為、荒尾駅で撮って、荒尾市電とはお別れをしました。これで、所有車両の全てですので、これで良かったような気がしますが、40年も前に廃止になった鉄道で、記載されているファン誌やサイトも少なく、全線撮っておけば良かったな!という思いもよぎります。薄倖な電車でした。

 

 作成に当たり、THさま、SKさま、翌檜鉄道さまにいろいろご教示いただきました。

 謝意を表したいと思います。

 

 荒尾市電の廃線跡の探索は

  「歩鉄の達人」「廃線探索 荒尾市営電気鉄道」

をご覧頂きたいと思います。

 

  参考文献

  鉄道ピクトリアル1960年12月号臨時増刊、号外 私鉄車両めぐり 第一分冊 水間鉄道 

 

(2007-2-18)

(2011-1-10)改訂
(2016-9-24)更新


 


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