我が国には多くの島がありますが、島に走っていた鉄道としては、戦前、沖縄県営鉄道があったようですが、 戦後まで、走っていた鉄道としては淡路交通、唯一つでした。

淡路島の中心の町、州本から鳴門海峡に接する福良まで、23.4kmの電化された鉄道でした。

是非、乗って見たいと思いましたが、東京の学生としては、遠いところでした。当時、関西は憧れの素晴らしい電車が疾走しているところで、幾度か友人と行きました。その関西から淡路島は目と鼻の先と思いましたが、これが意外に遠いのです。淡路島には明石から船で25分で、そんなに遠くは無いのですが、淡路交通の起点である洲本市には船が着く岩屋からバスで1時間半もかかるのです。島で一泊せねばならず、乏しいお金をやりくりして旅行する学生にとっては、行きにくいところでした。

しかし、どうしても島の鉄道に乗りたく、大学を卒業する1961年(昭和36年)冬、単身、訪れました。

この鉄道はそれから5年後の1966年9月30日に廃止になりましたので、思い切って、行って良かったと思いました。

1961年2月26日近鉄経由で大阪、難波から南海で深日港まで行き、そこから関西汽船で洲本に渡りました。

洲本港からすぐの洲本駅は立派な駅でした。洲本観光会館というビルの一角でした。

軌間1,067mmの電鉄線で、軽便鉄道ではありません。

早速、時刻表を貰いましたが、30分ヘッドの運転で、ノンストップの急行「なると号」というのも1本ですが運転されています。所要時間は洲本ー福良間50分、急行は33分運転です。

     

                                    (上の時刻表表紙をクリックすると時刻表 をご覧になれます)

早速、切符を買いホームに入りました。立派なホームです。

 

 

入っている電車はモハニ1002、元は全面卵型5枚窓、南海電鉄、電2型のようですが、鋼体化改造の名目ですっかり違った電車になりました。

料金は区間制です。乗車券と車内補充券をご覧下さい。

       

車庫は宇山にありました。

 

 

 

 折りしも、当時としてはスマートな電車を作っていました。南海の木造電車の鋼体化改造のようでした。

淡路交通の車両は大きく分けて、以下の3種類があったようです。

 

1.1913年(大正2年)に開通したときは非電化で、蒸気機関車やガソリンカーが走っていたが1948年

  (昭和23年)に電化。それまで使用していた気動車を電車化したもの。

2.南海電鉄から譲受した車両、及びこれを鋼体化改造したもの。

3.阪神電鉄から譲受したもの。

 

クハ111                                       クハ112

 

 これらは気動車改造の制御車です。

 

モハ609                                       モハ610

 

これらは阪神電鉄600型を譲受したもののようです。結構、原型をとどめているとは思いませんか?

                                  

    

モニ500

 

作業用でしょうが立派な電動貨車もありました。   

 

 自擬島(おのころ島)

 

上の車内補充券をご覧になると真中よりやや下に自擬島という駅名が読み取れると思います。おのころ島と 読むのだそうです。これは大変なところで、日本で最初に作られた陸地なのだそうです。

天地創造の昔、伊弉諾尊(いざなぎ)・伊弉冊尊(いざなみ)の二神が天上の「天の浮橋」に立って、「天のぬ矛」をもって青海原をかきまわし、矛の先から滴り落ちた潮が固まって初めて出来たのが自擬島だそうです。

依って、淡路島は日本で最初に出来たところで、いわば、日本の中心ということですので、日本の端っこの離島 などとは異なり、誇り高き島のようです。

実際に、淡路交通の沿線は肥沃な田園が広がり、広壮な家があり、島という感じは全くありません。海に沿って 走ることもないので、島の鉄道を感じさせる写真を撮ることは出来ませんが、由緒ある土地を走っていると考えるとなにか 風雅な感じもあります。

 

この2枚はモハニ2007です。気動車の改造で、直角カルダン駆動のようです。元々、気動車の駆動軸に電動機を取り付けたようで、直角カルダンにしやすかったのでしょう。

 

 

 

上の2枚はモハニ2008、気動車の改造であるが、垂直カルダン駆動とのこと。モハニ2007とことなり、貫通式であり、風貌が全く異なります。

 

クハ111

終点は福良駅です。

 

 

元南海のモハニ1003で到着です。

 

相棒はモハニ2009です。気動車の改造で、その駆動軸に電動機をつけているとのことです。

 

福良は鳴門海峡に面しており、四国への船が連絡しています。

 

 海から見た福良港と福良駅です。右側に福良駅が見えます。この写真は、1965年(昭和40年)5月5日に四国から鳴門海峡を経て、淡路島に渡った時、撮ったものです。

 

一泊して、翌2月27日は洲本から岩屋迄、バスで行きました。

 

 

 

バスは砂利道を疾走し、1時間半で、明石海峡に面した岩屋港に着きました。

 

 

 

 

 

岩屋港は神戸、大阪からの玄関口としては鄙びた感じでした。

播淡汽船で明石に渡り、阪急電車に一寸ご挨拶をして好きな近鉄経由で名古屋に行き、夜行で帰京しました。

 

淡路交通は1966年(昭和41年)9月30日に廃止になって、38年経ち、ほぼ忘れ去られているようです。

唯一の島の鉄道は直角カルダン、垂直カルダンの採用など、地方の鉄道としては珍しい技術的に先進的な 鉄道でした。

 

訪問から40年以上経っており、メモも少ないので、何か遺漏があるかもしれません。お気づきの点がありましたらご教示下さるようお願いいたします。

(2004-5-23)

岩屋までのバスと岩屋港の写真追加(2004-12-13)

福良港の写真追加(2008-4-10)
(2016-9-26)更新


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