東海道・山陽本線、いわゆる特甲線の特急・急行列車の牽引機として、3シリンダー機C53の後継として生まれたのがC59でした。伝統的な急行列車用動軸配置2C1(4−6−2)、パシフィックで した。一般的な幹線旅客列車用C57より太いボイラーを乗せた大型蒸気機関車で、均整のとれた迫力のあるその姿は魅力がありましたが、東京付近では、会うことが出来ませんでした。戦後、貨物用大型機関車D52の改造機として、更にボイラーの大きいC62、同軸配置2C2(4−6−4)ハドソン、が作られ、特甲線の主役の座が奪われた感がありましたが、C59も走り続けました。

 1964年(昭和39年)に山陽本線が電化されますと、活躍の場が少なくなり、鹿児島本線鳥栖〜熊本間で特急を牽引したこともありましたが、特甲線並みの規格を持つ呉線で、C62と共に最後の活躍をしておりました。軸重軽減が出来るC62は常磐線や北海道、函館本線などに活躍を場がありましたが、C59は従輪を1軸、追加し、軸重軽減したC60に改造されたものもありましたが、C59としては、呉線が定期列車牽引の最後の場になりました。

 1965年(昭和40年)のゴールデン・ウィークに友人宮さんと中国、四国の鉄道訪問の旅に出かけましたが、尾道で、1泊後、糸崎機関区を訪れ、C59、C62を身近に感じた後、呉線、須波駅付近で、C59、C6 2の姿を少し追いました。

 

C625牽引上り普通列車614レ糸崎行 安芸幸崎〜須波   1965−5−1

 

 先ず、C625を先頭に上り普通列車614レが広島方から来ました。太いボイラーが大迫力で迫って来ました。この列車は山口県徳山始発で広島から呉線を走ってきました。呉線は三原で山陽本線に接続しますが、列車は尾道寄りの一つ目の糸崎駅 が終着、始発駅でした。ここに機関区があるためかも知れません。

 

C59190牽引下り寝台急行列車「安芸」23レ広島行 須波〜安芸幸崎   1965−5−1

 

 11時過ぎ、呉線の看板列車、東京発広島行下り寝台急行列車「安芸」23レがC59190に牽かれて驀進してきました。1両の2等指定座席車以外はすべて寝台車の11両編成でした。牽引定数が最も大きい重量列車でしたので、C62に比べ、空転が少ないとかで、C59が充当されることが多かったようです。

 

広島行に向かって走り去る寝台急行列車「安芸」23レ 須波〜安芸幸崎   1965−5−1

 

広島行に向かって走り去る寝台急行列車「安芸」23レの後尾 須波〜安芸幸崎   1965−5−1

 

 「安芸」は一等寝台車2両、食堂車も連結されていました。広島着13時6分着ですので、美しい瀬戸内海を眺めながら食堂車でブランチを楽しむことも出来たと思います。

 

下り気動車列車639Dレ広島行 須波   1965−5−1

 

 呉線は昼間の殆どの列車は気動車で運転されていました。これはキハ20+キハ17でしょうか?この列車に乗り、呉に向かいました。

 

C62牽引上り普通列車616レ糸崎行 安芸阿賀〜広   1965−5−1

 

 呉では市電を撮る傍ら、黒瀬川橋梁を渡る数少ない昼間の蒸機が牽く列車をものに出来ました。広島発糸崎行普通列車でC62牽引でした。

 この後、15時35分出港の仁堀〜堀江国鉄連絡線で四国に渡るという慌ただしい旅ではありましたが、C59、C62の姿をとどめることは出来ました。


糸崎機関区

 

 呉線のC59、C62は糸崎機関区の所属でした。呉線撮影の前に糸崎機関区を訪れました。許可を頂き、憧れのC59を存分に撮ることが出来ました。

 山陽本線の電化前にはたくさんのC59、C62、D52などの大型蒸気機関車が居たと思われましたが、訪れた時は広い構内が寂しく見えました。

 

扇形車庫

 

糸崎機関区の扇形車庫の中央に憩うC59162   1965−5−1

 

 大きな扇形車庫の中央にはC59162がぽつんと居ました。この機関車は呉線電化の1970年(昭和45年)まで、走り続け、煙室扉、動輪だけ、広島県府中市に保存されているとのことです。

 

糸崎機関区の扇形車庫の端のD52とC6235   1965−5−1

 

 車庫の端にはD52が1台とその外にC6235が留置されていました。

 

大型給炭設備

 

糸崎機関区の給炭設備とD51262   1965−5−1

 

 大型機を扱うので、給炭設備も巨大でした。

会うことが出来た機関車は全てカメラに収めました。

 

寝台急行「安芸」牽引の出庫前点検を受けるC59190

 

 

 

 

 

 給水を終わり、出庫前の点検を入念に受けています。東京から多分EF58に牽かれた15両編成の寝台急行「安芸」は糸崎11時6分着、後尾3両を切り離し、ここから、C59が先頭に立ち、11時13分発 、呉線を驀進し、13時6分広島到着でした。 この日の主役のC59190は 1970年の最後まで残らなかったようですので、姿を消すのはそんなに先でなかったと思われます。

 

C59104

 

 

 C59104には火が入っていませんでした。まもなく、廃車になったのかもしれません。

 

C59161

 

 

 

 

 C59161を横から部分を撮ってみました。火が入っておりました。C59162、C59164と共に1970年の最後まで居たとのことですので、調子のよい機だったのでしょう。 広島市こども文化科学館に保存されています。

 

C59179

 

 

 ヘッドライトがありません。既に、廃車になっているのかもしれません。

 

C6217とC59180

 

 

 機関区のヤードの隅にC6217とC59180が留置されていました。既に、廃車なのかもしれません。

 

入換え用C50142

 

 

 C59、C62と共に入換え用のC50が居ました。ずいぶん、小さく見えましたが、客車の入換えに忙しく、走りまわっていました。この機関車の方が長生きであったかもしれません。

 

EF5897

 

 

 山陽本線の主力電気機関車EF58も糸崎機関区に配属されていました。しかし、大規模な給炭設備をバックになにか、小さくなっていました。

 すこし、ひつこく、糸崎機関区で会うことのできたC59などをご覧頂きました。かって、東海道、山陽本線の花形であった大型蒸気機関車の最後も近い姿を彼らに対するレクイエムと共に見て頂ければと思います。

 

(2010-2-27)
(2016-9-26)更新


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