1963年(昭和38年)7月15日に信越本線軽井沢ー長野間が電化開業しました。この前に、名残のD51牽引列車を撮るために6月30日に長野まで、日帰り旅をしました。この帰り、高崎ー赤羽間、EF53のキャブに乗せてもらいました。あらかじめ、添乗許可をもらっていたようです。

 直江津発上野行普通列車326レの牽引機EF5314で、高崎発14:32発でした。

 

 

 前橋、渋川行などの中距離普通列車は80系湘南形電車で運転されていました。

 

 

 

 EF53は機関士さんが電流計をにらみながら加速する手動運転でした。

 

 

 信越線長野行気動車急行「丸池」303Dレです。キハ57系7両で、2両は屋代から長野電鉄に乗り入れ、湯田中まで行きました。

 

 

80系は準急列車にも使われていました。この電車は準急「みくに」909Mレ水上行かもしれません

 

 

 

 回送列車として、165系急行用電車が来ました。この年の6月から、上越線急行は165系で電車化されていました。

 

 

 

EF53牽引の長野行準急「高原」1305レと思われます。信越線は横川まで電化され、EF53が牽引することが多かったように思われます。

 

 

 EF535を先頭にした直江津行普通列車321レと思われます。

 

 

 大宮を過ぎ、京浜東北線の電車の73系が同じ線路を走ってきます。与野駅に進入、通過します。9600が貨物の入れ替えをしています。

 

 

 与野駅を通過したところで、EF56に牽かれた東北線列車がやってきました。普通列車福島行129レと思われます。

 

 

 東北線も宇都宮、黒磯、日光行の中距離は80系湘南電車でした。これは、南浦和〜蕨間で、右は日本車両東京支店と思われます。

 

 

 京浜東北線のゲタ電73系も大宮〜赤羽間では東北線、高崎線の列車と同じ線を走っていました。 これは、蕨〜西川口間と思われます。前方に見えるのは西川口駅と思われます。

 

 

 荒川放水路橋梁を渡る前、秋田発気動車特急「つばさ」6Dレが貨物線を並走、追い抜いてゆきました。

 

 

 

赤羽14:41着でした。EF5314ともお別れです。

 

 

 下りホームにEF58牽引の高崎行普通列車629レが入ってきました。

上越線電車特急「とき」新潟行1Mレが通過してゆきました。前年6月10日に長岡ー新潟間が電化し、電車特急「とき」が走り始めました。1往復のみで

 上り2Mレ 新潟8:30発ー上野13:10着 下り1Mレ 上野16:50発ー新潟21:30着

でした。

 

 EF53はこの後、まもなく、山陽本線の難所、広島の瀬野ー八本松間の補機専用EF59に改造され、高崎線を去って行きました。

 多くの中距離列車は80系により電車化され、電車急行、気動車急行、準急もたくさん走りはじめましたが、まだ、EF53、EF56、EF57,EF58に牽引される列車も残っておりました。

  鉄道ファンには良き時代であったと思います。そのようなときに、機関車のキャブに乗せてもらい、普段みることの出来ない視点で、列車を撮ることが出来、幸せであったと思います。

 

謝辞

 沿線にご在住のイリューシン62様から撮影場所の考察を頂きましたので、参考にさせて頂き、記述を追加・更新致しました。

 深謝いたします。

 

  参考文献

  日本交通公社発行「時刻表」1963年8月号

 

(2009-1-30)

(2010-1-10)更新
(2016-9-28)タイトル更新


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