福井鉄道1963年
1963年(昭和38年)9月、連休を利用して、友人のMさんと北陸地方の電車の顔を見るための旅をしました 。東京から、米原経由で、武生に来ました。先ず、福井鉄道です。高床の電車が福井市内の併用軌道を走るのが有名でしたが、その当時、3路線がありました。
福武線 武生新ー水落ー福井新ー市役所前ー福井駅前 20.1km
市役所前ー田原町 0.8km
鯖浦線 水落ー織田 17.1km (1973年9月*廃止)
南越線 社武生ー岡本新ー戸ノ口 14.3km (1981年4月*廃止)
鯖浦線は鯖江ー水落ー織田間でしたが、鯖江ー水落間は訪れた1年前の1962年1月に廃止になっていました。
(*最終路線廃止時期ーこの前に部分廃止あり)
下図の1963年当時の路線図をご覧ください。
1963年当時の福井鉄道路線図
福武線(鯖浦線)
武生新駅は国鉄武生駅の鯖江寄りの海側にありました。
200形(モハ202-1+モハ202-2)福井行急行 武生新 1963-9-21
ホームには200形福井行急行が客を待っています。1960年3月日車製のWN駆動、全金属製、2両連接車で、セミクロスシートを備え、武生新ー福井駅前行の急行に就役していました。初め、2編成でしたが、1962年1月に1編成が追って製作され、当時は、武生、福井間の都市間輸送を完全に独占していたようです。
モハ1 福武線普通 水落 1963-9-21
旧福武電気鉄道創業時の1923年1月に梅鉢鉄工所で製作されたモハ1も健在でした。木造車ですが、前面、幕板、腰板等に鉄板を張り、にせ半鋼車になっていました。
鯖浦線分岐点付近を行く200形武生新行急行 水落 1963-9-21
途中の水落から織田行の鯖浦線が分岐していました。分岐点の近くには留置線があり、古い車両が留置されていました。
モハ81 福武線福井駅前行普通 1963-9-21
モハ80形は1921年製の南海電鉄、電5を1956年に日車で鋼体化改造したものとのことです。台車、電動機などもオリジナルのものではなく、前面、卵形木造車の南海、電5の面影は全くありません。更に、台車、駆動装置を200形のものとして、車内はクロスシート化して、現在も生き残っている強運を持っている電車です。
モハ122 福武線福井駅前行普通 新福井? 1963-9-21
モハ120形は1950年に日車で新製した戦後運輸省規格型に近い電車です。撮影場所は福井新ではないか?と思います。
福井新駅を出て、まもなく、併用軌道に入ります。国道8号線の真ん中を複線で走ります。足羽川を越えてまもなく、市役所前停留所です。ここから、福井駅前行電車はスイッチバックして、山側に国道から直角に入る道の単線併用軌道に入り、すぐ福井駅前停留所に達します。
200形急行 市役所前スイッチバック1 1963-9-21 200形急行 市役所前スイッチバック2 1963-9-21
福井駅前行は一旦、市役所前停留所に停車し、その後、バックして、上り線との渡り線を経て、右の写真の左側に入り
福井駅前に達します。
田原町行モハ61と武生新行急行200形 福井駅前 1963-9-21
福井駅前停留所では先に到着した武生新行電車の後に福井駅前ー田原町の市内線の電車が着きます。そして、田原町行電車が先に発車してゆきます。
田原町行モハ64と武生新行モハ81 福井駅前 1963-9-21
これは、福武線が普通電車の場合も同じようでした。
福井駅前ー田原町間市内線電車モハ61 市役所前ー裁判所前 1963-9-21
1984年夏に再訪し、わずかですが、撮りました。その画像は下記アイコンをクリックしますとご覧頂けます。
福井駅前から京福電鉄三国芦原線と接続する田原町間までの市内線は当時、小型高床電車モハ60型で運転されていました。1933年、市内線開通時に日車で新製されたもので、全長10mのかわいらしい高床車でした。
モハ72 水落 1963-9-21 鯖浦線織田行 モハ41 水落 1963-9-21
水落の電留線には鯖浦線用の電車が休んでいた。
モハ71は旧鯖浦電気鉄道開通に備えて、1923に製作した木造単車でした。これを1933年にボギー車化したもので、単車のイメージが残っています。この当時は既に予備車的存在のようで、救助網も無く、ヘッドライトも汚れたままになっておりました。
モハ42 水落 1963-9-21 モハ43 水落 1963-9-21
モハ40形は旧鯖浦電気鉄道が1928年から1931年にかけて、製作した半鋼製ボギー車です。車長11.8mの腰板が高く小さな1段下降窓が並んでいるいかにも地方鉄道にふさわしいスタイルをしていました。モハ42だけは1953年に車体更新され、車長も13mとなり、モハ120形と似たスタイルになりました。モハ41とモハ43とでは少し顔つきが異なりました。
ハ5 水落 1963-9-21 ハ73 水落 1963-9-21
ハ5は旧南越鉄道が吉野鉄道から譲り受けた1918年製の2軸木造客車を1954年にボギー車化したもののようです。
ハ73は上述のモハ71と同じ、モハ70型のモハ73が電装解除されハ73になったものです。
デキ1 西武生 1963-9-21 モワ2 西武生 1963-9-21
デキ1は1935年、芝浦製作所製で、目蒲電鉄に譲渡した院電モハ4の電気部品を流用し、台車は電車用TR10を履いており、エアータンクをキャブの前に搭載しているという異形の凸形電機です。
デワ2は1923年梅鉢工場製の木造単車の電動貨車です。車長8.6mの単車ですので、不安定な感じがしました。また、前面には2窓しかなく、異様な形相をしています。
南越線
南越線は国鉄武生駅の山側に隣接した社武生駅から出ていました。
モハ101+モハ111 岡本新 1963-9-21
モハ100形は元京浜電気鉄道デ1(1905年製)、1923年に車体をのせ換えたものを譲受したものであり、前面卵形5枚窓、おでこが広いおなじみの京浜木造車のスタイルをしています。モハ101〜103の3両在籍していましたが、訪問当時、モハ103は既に廃車になり、残るモハ101、102もその1年後には廃車になってしまいました。
モハ102 岡本新 1963-9-21 モハ102 社武生 1963-9-21
モハ102 運転台 1963-9-21 モハ102 客室 1963-9-21
モハ102の車内に入って見ると意外にすわり心地のよさそうなシートで、天井も短冊張りの木製でした。白熱灯ですが、朝顔形のシェードではありませんでした。運転室を覗いてみると、小ぶりなダイレクトコントローラが頑張っていました。
モハ111 岡本新 1963-9-21
いまひとつ、異様な車がいました。窓の上の幕板がものすごく広いモハ111です。元院電の木造車を目黒蒲田電鉄を経て、1927年、旧福武電気鉄道が貰いうけたデハ5の鋼体化改造したものです。ノーシルノーヘッダーの車体ですが、窓枠を木造車のものを流用した為、窓が小さくなり、このように幕板が広くなったようです。
モハ63 岡本新 1963-9-21 モハ51 社武生 1963-9-21
福井市内線で活躍のモハ60形は南越線でも走っていました。
モハ51は旧鯖浦電気鉄道が1940年に作った車で、前面3枚窓ではあるが、キハ07のように丸くなっており、その当時流行の流線形にしたようです。
ハ2 岡本新 1963-9-21
ハ2は吉野鉄道から譲り受けた木造2輪客車(1918年、梅鉢鉄工所製)を1964年にボギー車に改造されたもので、モハに引かれて、活躍していました。
モハ132 岡本新 1963-9-21
モハ130形は1962年と1963年に各1両、自社、西武生工場で製作した前面2枚窓、ノーシルノーヘッダーの全金属製で
200形をモデルに製作したようです。しかし、電気品、台車は旧車流用で、ダイレクトコントローラーでした。この電車は南越線が廃止される1981年まで主力として走りました。
一緒に旅をしたMさんは福井駅前で、東京の大学生で、足を痛めて、郷里の福井に帰っていたお嬢さんと偶然、再会しました。奇遇でした。 そのスナップがフィルムの中から出てきました。
Mさんは写真を見て、追憶に耽っていました。
今一度、福井に行ったら、又、お会い出来るのかなぁなんて思っているのかも知れません。
はるか昔に過ぎ去った青春のロマンスのひとこまが甦ったようです。
参考文献
鉄道ピクトリアル Vol.255−257 私鉄車両めぐり 福井鉄道
(2005-9-20)
(2010-5-11)リンク追加更新