岳南鉄道は東海道本線吉原駅から分岐し、岳南江尾までの9.2km、1,067mmゲージ、架線電圧DC600Vの短い電気鉄道です。1953年(昭和28年)全通した新しい鉄道で、沿線には製紙工場などの大きな工場があり、その貨物輸送が主な目的であったようです。しばらく、名古屋方面に東海道本線と並走し、90°右折し、工場地帯と旧吉原市街の中を富士山に向って進み、再び、90°右折して、富士山を左に見て、東海道線より2km程、山側を東京方面に向い終点、岳南江尾駅に達します。他に類を見ない不思議なルートですが、沿線工場からの貨物輸送をキャッチするため、こうなったのだと思います。
鉄道ファン仲間の新年会を伊豆で持った折り、何回か撮りに寄りました。1981年には5000系が入る前の名残の電車を撮るのが目的でした。
東海道新幹線0系とクハ2102+モハ1105 岳南江尾 1971-1-24
東海道新幹線0系とモハ1105 岳南江尾 1971-1-24
終点、岳南江尾駅は東海道新幹線を東京方面にアンダークロスしたところにありました。0系のひかり、こだまが行き交う新幹線高架の下にひっそりとただずんでいる感じの終着駅ではありましたが、汽車会社のステンレスカーの試作車である1105が、存在感を示しておりました。この電車は東京で開かれたアジア鉄道首脳会議(ECAFE)鉄道関係展示会に、最新鉄道技術のデモンストレーションのため、出展されたもので、そのころ、話題になった電車でした。
当時、岳南江尾辺りの新幹線には防音壁がなく、0系新幹線列車も足元まで、すっきり、見ることが出来ました。
モハ1100形、1101 岳南富士岡 1980-1‐20
クハ2601+モハ1106 須津~神谷 1981-3-1
開業以来、他社から譲受した木造車がほとんどでしたが、1960年(昭和35年)にこれらの木造車の鋼体化改造として、当時の日車標準の半鋼製車体を作りました。張り上げ屋根、ノーシル・のヘッダー、上窓Hゴム固定の2段窓を持つ、そのころとしてはスマートなスタイルでした。デハ1101~1106(1104欠番)作られ、デハ1105はセミステンレスボディでした。
クハ2103+モハ1107 岳南原田~比奈 1971-1-24
クハ2103+モハ1107 神谷~岳南江尾 1971-1-24
クハ2103+モハ1107 須津~神谷 1971-1-24
クハ2103+モハ1107 岳南原田~比奈 1971-1-24
小田急(小田原急行鉄道)創業時の電車が活躍しておりました。モハ1107はモハ1100形に入れられていますが、木造車の鋼体化改造車ではなく、元小田急クハ1350形、クハ1352で、1927年(昭和2年)、藤永田造船所製のモハニ154とのことです。クハ2103と2連で走っておりました。クハ2103は元小田急デハ1200形、小田急創業時にモハニ101形として日本車両などで作られた電車です。
モハ1603+クハ2106+モハ1108 須津~神谷 1981-3-1
モハ1603+クハ2106+モハ1108 岳南江尾 1981-3-1
モハ1603+クハ2106+モハ1108 岳南江尾 1981-3-1
モハ1905+サハ1955+モハ1602 岳南江尾 1981-3-1
小田急の1600形、1900形は貫通扉を持った小田急のイメージを確立した電車のように思いますが、岳南に来ておりました。訪れた1981年には3連で運用されていました。
モハ1108はモハ1100形の仲間にされていますが、元小田急デハ1600形のモハ1607で、元小田急クハ1650形のクハ2106と2連でしたが、モハ1603(元小田急デハ1602)と組み3連になっておりました。1942年川崎車両製。
モハ1905は元小田急デハ1900形、サハ1955は元小田急サハ1950形。1949年川崎車両製。モハ1602は元小田急1600形です。
ED271 岳南江尾 1971-1-24
ED271は、南武鉄道1002として、1928年(昭和3年)に日立で製作され、国鉄に買収後、ED2712となり、1969年に岳南鉄道に譲渡されたものです。50トンクラス、軸配置B-Bの箱型電機、出力700kWでした。1971年に廃車になりました。
ED311 岳南江尾 1971-1-24
ED311は国鉄アブト式機関車ED40に由来する機関車でしたが、駿豆鉄道時代に大改造され、平凡なボギー台車を履いた機関車になって仕舞いました。
ED321 岳南江尾 1981-3-1
ED321は1927年(昭和2年)に伊那電気鉄道のデキ10として作られ、国鉄買収後ED321となり、1060年に岳南鉄道に来た凸形40トンクラスの電気機関車です。軸配置B-B、出力320kWです。
1981年に東急5000系青蛙を2連、4編成譲り受け、岳南5000系赤蛙になりました。そして、今まで活躍していた電車はすべて、姿を消しました。さらに、これも、1996年に元京王、井の頭線の3000系を譲受し、1両で運転できる両運転台付7000形、2002年に2両編成の8000形に置き換えらえ、岳南の風景は大きく変わりました。
鉄道ファンの友人と伊豆で新年会を度々、持ちましたが、その帰りに何回か、岳南を訪れましたが、撮りっぱなしで、フィルムは日の目を見ることありませんでした。それらのフィルムをスキャンしてみましたら、40数年前の岳南は小田急の創業時の車も含めて、小田急釣りかけ車が最後の活躍をしておりました。
最近、貨物営業も止めざるを得なくなり、経営的に厳しいようで、子会社「岳南電車」に鉄道関係を移管して、走り続けているようです。何とか、走り続けて欲しいものです
参考ウェッブサイト
ウィキペデイア、フリー百科辞典 「岳南電車」
謝辞
50年来の友人の米さんから撮影時期のアドバイスを頂きました。謝意を表したいと思います。
(2016-7-5)