関東の鉄道ファンにとっては関西の私鉄は憧れの的でした。東京の私鉄は条例で山手線内に入れなかったことで、郊外電車と呼ばれたように、郊外に延びる支線的な役割の路線が多く、 元は、2両編成ぐらいで、ゆったりと走っていました。関西の私鉄は都市間高速鉄道が多く、国鉄と競争し、長編成で、100km/hを超える高速で疾走しておりました。

 1958年(昭和33年)に大学の鉄道研究会の仲間と行った関西鉄道の旅で、初めて、憧れの阪急を見ることが出来ました。その後、度々、訪れました。

 

夜の梅田駅                  1961-3-8

 

 阪急梅田駅は8号線(8番線)まである終端駅で大きなドームで覆われていました。私鉄最大の駅であったようですが、ヨーロッパの大都市の中央駅を思わせる規模の大きなものでした。今の駅と異なり、地平にあり、発車すると直ぐ、国鉄線の下をくぐりました。上の写真は夜、京都線ホームから神戸線ホームを撮ったもののようです。

(あまり、良い写真ではありませんが、梅田駅はこれしか撮らなかったようです。この写真のように、いまいちの写真もあり、50年のフィルムの経年変化も見られますが、ホームページの気楽さで、50年前の思い出として、載せました。お見苦しいとは思いますが、ご容赦願います。)

 

中津付近の3複線区間を走る宝塚線,京都線の電車        1961-3-9

 

 梅田〜十三間は当時既に、3複線化されていました。この写真は神戸線三ノ宮行特急先頭より、宝塚線、京都線電車を見たものですが 、関東のファンの想像を越える壮観でした。 左側2線が神戸線、真ん中2線が宝塚線、右側ですこし高くなっている2線が京都線です。宝塚線900系梅田行急行、京都線700系梅田行普通が並んで走って来ました。右端の電車は梅田を神戸線特急と同時発車した1300系京都四条大宮行特急でしょうか?

 このときは、神戸線、宝塚線の架線電圧はDC600V、京都線はDC1500Vで、京都線の線路をラッシュ時、宝塚線の電車も走るということで、この区間の 架線電圧はDC600Vでした。神戸線、宝塚線の昇圧も計画されていましたが、DC1500Vの京都線の電車はこの区間速度が出ませんでした。

 

今津線との平面クロスを渡る梅田行特急812(先頭)  西宮北口        1958-7-12

 

 当時、阪急は正式名称を「京阪神急行電鉄」と称していましたように、神戸線、宝塚線、京都線の3本線と幾つかの支線を持っていました。発祥の線は宝塚線ですが、阪神急行電鉄として、高速で阪神間を結ぶ目的で作られた神戸線に先ず、牽き付けられました。

  神戸線特急は十三を出ますと、西宮北口まで停まりません。810形に乗ったと思いますが轟音と共に瞬く間に100km/hを越え、10分ぐらいで西宮北口到着です。この駅は宝塚ー今津間の今津線と平面クロスしていました。軌道法で運営されているとは言え、実質的には鉄道線で、これが、路面電車のように直角に平面クロスしていたのはここだけだと思います。上の写真は3号線を発車して、梅田に向かう特急ですが、梅田方面乗り場は島式ホームの3号線、4号線があり、4号線の対面にもう一つホームがあったと思います。通常、梅田行特急は4号線に入り、両側のドアが開いたと思います。3号線からの特急発車は珍しいと思いますが、確か、三宮からの特急が4号線に入り、ここで、車両交換を行う為、3号線の特急に乗り換えたのだと思います。

 

2号線神戸方面ホームの横を梅田に向かう特急861(後尾)  西宮北口        1958-7-12

 

 梅田方面ホームは平面クロスの神戸側にありましたが、神戸方面ホーム1、2号線は梅田側にありました。この写真では4号線ホームを出発した特急が梅田に向かって発車して行きます。その奥は、今津線宝塚方面との連絡線で、これを使って、ラッシュ時、宝塚から今津線、神戸線経由梅田行急行が運転されていたと思います。

 

平面クロスで神戸線を渡る今津線今津行501(後尾)  西宮北口        1958-7-12

 

 神戸線をクロスする今津線電車です。

 

今津線ホームの宝塚ー西宮北口間電車506(後尾)  西宮北口   1958-7-12

 

 今津線ホームは平面クロスの宝塚側にありました。この写真の奥が宝塚側で、 電車の入っているホームは西宮北口折り返し電車用のホームです。平面クロスを経て今津に向かう電車は右側の藤棚の向こうの対向式ホームに発着しておりました。藤棚の少しむこうが宝塚行のホームです。左側に見える線路は本線神戸方面から宝塚方面への連絡線です。(大阪、箕面市ご在住のIU様から、ご指摘、ご教示頂き、修正致しました。)

 

 810形、812(先頭)梅田行普通 西宮北口ー武庫之荘        1961-3-9

 

 1961年(昭和36年)に訪れた時、 西宮北口の近くで、行き交う神戸線電車を撮りました。

810形は1950年(昭和25年)から作られた車体長19mの大型半鋼製電車で、230HP(172kW)、4個を備える強力電動車でした。MT運転をしていました。戦後の製作でありますが、阪急の伝統の一段下降窓を持っていました。

 

 810形、810(後尾)神戸三宮行普通 西宮北口ー武庫之荘       1961-3-9

 

 

 900形、902(後尾)神戸三宮行特急 西宮北口ー武庫之荘        1961-3-9

 

 900形は1930年(昭和5年)に神戸線特急用に作られた全鋼製電車です。車長17.6mの中型ですが、200HP(150kW)電動機2個を備え、全電動車運転し、阪神間25分運転をしていたとのことです。全鋼製ですが、車内壁面は木目印刷されておりました。神戸線の名車といえます。

 

 900形、901(先頭)梅田行特急 西宮北口ー武庫之荘   1961-3-9

 

 かたわらに見える西宮車庫にはいろいろな車が見えます。

 名車に敬意を表し、他の900形の走る姿もご覧願います。

 

 900形、905(後尾)西宮北口行普通 西宮北口ー武庫之荘        1961-3-9

 

 

 900形、911(後尾)神戸三宮行普通 西宮北口ー武庫之荘   1961-3-9

 

 1010形、1014(先頭)梅田行特急 西宮北口ー武庫之荘        1961-3-9

 

 阪急初の高性能電車1000形が1954年(昭和29年)に試しに作られ、この量産形として1010形が1956年(昭和31年)に作られました。全金属製、空気ばね台車、WN駆動の電車でした。 阪急の高性能電車のスタイルはこの1010形を踏襲せず、次の2000形より大きく変わってしまいました。しかし、訪れた時は未だ2000形は登場していませんでした。

 

 90形、92(後尾)回送 西宮北口ー武庫之荘 1961-3-9      96形、96(後尾)回送 西宮北口ー武庫之荘 1961-3-9

 

 変わりだねの電車も見られました。90形は木造国電を鋼体化改造して、今津線の増強用に作られたもので、訪れた時は伊丹線で使われており、車庫に回送されたものでした。

 同じく、今津線増強用に加越能鉄道から客車を譲り受け電車化したもので、97(Tc)+96(Mc)のようです。伊丹線用と思います。

 

三宮駅で発車を待つ梅田行特急856(先頭)  神戸三宮        1958-7-12

 

 神戸三宮も鉄骨ドームに覆われた立派なホームでした。800形は1949年(昭和24年)に作られた最後の17mクラスの電車でしたが、その中で、1950年(昭和25年)年に作られた805、806とその制御車(Tc)855と856は全鋼車体で阪急としては珍しく非貫通でした。

 

三宮駅の梅田行特急863(先頭)  神戸三宮        1958-7-12

 

 これは810形の制御車(Tc)860形863ですが、クロスシートを備えていたことが分ります。

 

 阪急マルーン の車体、木目の車内壁面、渋い緑色(モスグリーン?)の上質モケットのシート、一段下降窓などが阪急電車の品の良い雰囲気をかもし出しており、他の電車には無いものと言えます。これは現在も受け継がれていると思いますが、阪急マルーンはやや明るく光沢のあるものになり、車内壁面もより明るいものになった感じが致します。

 このややクラシックな雰囲気の電車が梅田の大ドームのホームを発車し、複線を走り、100km/hを越える高速で疾走するのに関東のファンは魅了されてしまいました。

 東京近辺の私鉄でも東急5000形のような革新的な電車が走り、京急も俊敏で魅力的な電車を走らせるようになっていましたが、なにか、規模と伝統の差が大きいように思いました。50年前はなおさらでした。

 

参考文献

  鉄道ピクトリアル 1963年11月、12月号 通巻151,152 私鉄車両めぐり[60]京阪神急行電鉄

 

謝辞

  たーサンさまから上から2枚目の写真に付き、神戸線列車から宝塚線、京都線列車を見たものとご指摘を頂き、書き直しました。(青字部分)

  貴重なご指摘に謝意を表したいと思います。

     大阪、箕面市ご在住のIU様から、ご教示頂き、西宮北口駅今津線ホームに対する説明などを修正致しました。

     貴重なご指摘、誠に有難うございました。深謝致します。

(2016-10-25)タイトル改訂
(2012-8-20)訂補

(2010-3-30)訂補

(2008-8-6)


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