鉄道写真としては、「駅撮り」というのは最も安易なもので、価値のないものとされています。しかし、旅の限られた時間で多くのものを撮ろうとすると、どうしても、駅で撮影することが多くなって仕舞います。1958、59年(昭和33、34年)に大学の鉄研の関西研修旅行ではその典型でした。1959年(昭和34年)に訪れた阪急京都線、淡路駅は京都線と千里山線がクロスしており、京都線系の多くの阪急電車に短い時間でお目にかかることのできるところでした。大学鉄研の研修旅行ということで、特別に構内立ち入りの許可を頂き、撮りましたので、すこしはユニークな電車の姿を収めることが出来たのでは?と思っております。1961年(昭和36年)春に撮ったものも含めて、ご覧頂きたく思います。
 
京都行急行100系       淡路    1959-7-17
 ここでの一番のお目当ては新京阪デイ100でした。京都線の前身、新京阪鉄道が1927年(昭和2年)から1929年(昭和4年)にかけて製作したもので、参宮急行鉄道(現近鉄大阪、山田線)のモ2200とともに、我が国の高速大型電車のさきがけのすごい電車でした。デイ100のデイは一等電動車を表し、国鉄の一等車なみのゆったりとしたクロスシートで、200HPX4台のモータを装荷しているパワーフルな電車で、国鉄東海道線と並走する大山崎付近で、国鉄、特急「つばめ」を追い越し、そのスピードを誇っておりました。訪れれたときは、ロングシート化はされていましたが、大阪~京都間の急行をはじめ、各駅停車に活躍しておりました。デイ100はP-6(Passenger car 6)とも言われていました。すこし、デイ100の姿をご覧下さい。
 

天神橋発京都行普通100(137)+1500       淡路    1959-7-17
  電動車100+制御車1500のMT2両編成で普通電車に使われていました。

京都行急行 100系、4連 後尾129       淡路    1959-7-17
 大阪~京都間急行には100系4連で運転されていました。急行標識を付けた100形は威風堂々としていました。
 
100系、4連 先頭1501       淡路    1959-7-17

100系、2連 先頭1525       淡路    1959-7-17
 淡路駅は電留線もあり、100系が頻繁に出入りしていましたので、いろいろなアングルで100系を眺めることが出来ました。
 
千里山線普通 210形 211+261+212(後尾)       淡路    1959-7-17
 変わり種、210形も千里山線普通として走っていました。1956年(昭和31年)に廃車になった電動貨車の台車、電気品を使って、全金属製の車体の211(Mc)+261(T)+212(Mc)を作ったものでした。
 

千里山線普通 700形 710(先頭)       淡路    1959-7-17
 700形は京阪神急行になってから1948年(昭和23年)に宝塚線550形に相当する京都線用700形を作りました。顔は阪急スタイルですが、側面窓は2段上昇で新京阪の伝統を残していました。
 

大阪梅田行特急710系4連、先頭716        茨木市    1961-3-9

京都四条大宮行特急710系4連、先頭763        茨木市    1961-3-9
 710系(Mc710形、Tc760形)は1950年(昭和25年)から製作された神戸線810形と同じ、阪急標準車体の京都線特急用電車で、クロスシートを備え、230HPX4個モータを備えており、4連で運行されていました。
 

京都四条大宮行特急1300系3連、先頭1302        淡路    1959-7-17
 1300系は阪急最初のカルダンドライブ高性能電車1010系の京都線版で、1957年(昭和32年)に製作された1301(Mc)+1351(T)+1302(Mc)の固定編成で、150HPX8個モータを1台の制御装置で制御しております。この編成は固定クロスシートを備え、特急として走っていました。
 

1300系3連、先頭1303+1552+1304        淡路    1959-7-17
 1300系のトップナンバー以外の編成はロングシートで、特急には使われなかったようです。
 1963年(昭和38年)に京都四条大宮~河原町の地下線が開通する前は特急も20~30分ヘッドで、3,4両編成で済んでいたようです。しかし、新京阪のプライドをかけたデイ100も健在でした。

 参考文献
   鉄道ピクトリアルVol.151~154 私鉄車両めぐり「京阪神急行電鉄」

(2013-7-20)  


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