大阪、野田から神戸まで、阪神国道上に路面電車が走っていました。阪神国道線です。昭和の初めに開業し、戦前は沿線の工場への通勤客、戦後の1950年代には沿線の人口増加、阪神工業地帯の発展などで最盛期を迎えましたが、1960年代にはモータリゼーションの波をかぶり、1975年(昭和50年)に姿を消してしまいました。ここにはスマートな電車が走っておりました。窓が極限まで大きく、「金魚鉢」というニックネームで有名でした。
 1958、59年の大学の鉄研の関西旅行で、その姿をほんの少し、留めました。 全長26km、全線乗車すると2時間かかるという本邦最長の路面電車ですので、全貌を収めるのはとても無理でした。


71形71            東神戸       1959-7-15 

 71形は1937年(昭和12年)製の電車とは思えないスマートな電車です。ノーシル・ノーヘッダ、張り上げ屋根、側面の窓は極限まで高く、窓間の柱も細く、ドイツのガラス電車を思わせます。当時の路面電車は2個モータ、直接制御がほとんどでしたが、29.8kWのモータ4台装荷、間接制御、トムリンソン式密着連結器を装備しており、性能的にも群を抜いておりました。終点の東神戸は神戸市電、脇浜町終点と線路が繋がっておりました。しかし、通常の直通運転は行っておりませんでした。軌間は神戸市電、大阪市電と同じ、1435mmでしたが、起点の野田では大阪市電と線路は繋がっておらず、阪神国道線を通って、大阪市電、神戸市電が相互乗り入れすることはありませんでした。
東神戸電停付近は未舗装でぬかるみが広がっておりました。


201形213            東神戸       1959-7-15

201形は増備車で1943年(昭和18年)、1946年(昭和21年)、昭和48年(昭和23年)と終戦前後、3回にわたり、製造されたもので、端部の屋根の曲線などが若干、71形と変わっているようですが、基本的には同じ、スタイルです。物資の少ない時期にこのような大きな窓の電車が作れたのは驚きです。性能的にも変わらないようです。213はもっとも遅く作られたもので、阪神国道線用電車としては最後の新製車です。この車はマルーンとアイボリーのツートンカラーでした。


71形73                         1958-7-12

野田ー東神戸の方向板をつけて、阪神国道線を走る73です。


201形212            浜甲子園       1958-7-12

 国道線の上甲子園」から分岐した甲子園線という支線がありました。沿線には団地や海水浴場があり、本線より、賑わっており、最後まで、12分ヘッドの運転をしておりました。重連運転も多かったようです。

参考ウェッブサイト
   ヴィキペディアフリー百科事典「阪神国道線」

(2013-7-5) 
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