我が国最大の路面電車で、最新極低床路面電車LRVが走る広島電鉄の55年前の風景をご覧頂きたいと思います。
友人と卒業旅行で山陽、山陰地方を廻った1961年(昭和36年)3月に宮島から広島を訪れた際、撮ったものです。鉄道ファンではない友人と一緒でしたので、ほんの数カットではありますが!
200形 205 紙屋町付近 1961-3
まだ、単車(4輪車)が現役で走っておりました。200形は1930年(昭和5年)に10両が作られた半鋼製4輪単車でした。全車が被爆し、205は紙屋町付近で全焼しましたが、1948年に復旧しました。1966年までに全車廃車になりました。
400形 418 紙屋町付近 1961-3
400形 410 紙屋町付近 1961-3
400形は1921年(大正10年)に南海鉄道より10両、1927年(昭和2年)大阪市電気局より20両譲受したオープンデッキ木造単車の100形を1938年(昭和13年)から1940年(昭和15年)にかけて鋼体化改造して400形になりました。単車ですが、張り上げ屋根、ノーシル、ノーヘッダーで大きな窓を持つスマートな電車になりました。ほとんどの車が被爆しましたが、1948年までに全車、復旧しました。410は窓に中間の桟が入っておりました。当時のガラスの事情だったのでしょうか ?1969年までに全車廃車になりました。
500形 503 紙屋町付近 1961-3
500形(2代目)は1953年(昭和28年)、ナニワ工機製で作られました。先に作られた800形をベースにしたものですが、中扉になりました。
700形 701 紙屋町付近 1961-3
700形(初代)は1938年(昭和13年)に京王電軌軌道から木造ボギー車を10両購入した500形(初代)を1948年(昭和23年)から、日立、笠戸工場で半鋼製ボディーに乗せ換えたものです。張り上げ屋根のスマートな3扉車ですが、時代がかったブリルの台車を履いております。座席は木製であったとのことです。
800形 805 紙屋町付近 1961-3
初代800形は京都市電800形をベースにして、1951年(昭和26年)にナニワ工機で10両作られたものです。小さな行き先表示器の両側に通風機を設けた張り上げ屋根のスタイルは京都市電そのものです。前後扉であり、ワンマン化改造をされずに、1976年(昭和51年)までに全車廃車になりました。
850形 851 紙屋町付近 1961-3
旧850形(1971年に350形に改番)は、1958年(昭和33年)にナニワ工機で3両製作された全金属製、車長12mの大型ボギー車で、宮島線直通用として使用できるように計画されていましたが、高速性能に劣り、宮島線に直通することは少なかったようで、現在では350形として市内専用車として走っております。
2000形 2001 紙屋町付近 1961-3
2000形は1960年(昭和35年)から、9両製作された宮島線直通用電車で、外観は850形とほぼ同じで、前照灯が埋め込み式から、外付けになり、中央の車掌用窓が引き戸になり、その上に方向幕が付けられた程度でしたが、電動機は30kW 4基搭載(850形は2x50kW)でパワーアップされました。1974年(昭和49年)に連結化改造され、2両固定編成で宮島線直通用に運用されていました。しかし、2001のみは連結化改造されませんでした。2012年までに全車廃車。
宮島線はまだ市内線との直通運転が本格的に始まってはおりませんでした。
1010形 1015 電車宮島(現広電宮島口) 1961-3
1010形は広島電鉄の前身、広島瓦斯電軌が、1923年(大正12年)に8両、梅鉢鉄工所で製作した宮島線用D型、木造ボギー車です。市内線用電車より、床面が高いので、高床車と呼ばれていたようですが、1030形より低く、低床ホームに停まっていました。1968年までに全車廃車になりました。
1030形 1035 電車宮島(現広電宮島口) 1961-3
1030形は広島電鉄の前身、広島瓦斯電軌が、1930年(昭和5年)に5両、川崎車両と藤永田造船所で製作した宮島線用H型、半鋼製ボギー車、総括制御が出来る車長13m(後に15mに延長)の本格的な鉄道線電車でした。1035のみ張り上げ屋根になっておりました。1978年までに全車、廃車になりました。
1961年(昭和36年)当時は宮島線との直通運転は団体専用列車でのみ行っており、定期列車は翌1962年に広電二日市まで、1963年に広電宮島口まで直通するようになりました。
このあと、1970年(昭和45年)と1982年(昭和57年)にも少し、広電の姿を留めました。
参考ウェッブサイト
ウィキペデイア、フリー百科辞典 「広島電鉄」
(2016-5-8)