1961年(昭和36年)には宮島線直通運転も、本格的には始まっておらず、単車(4輪車)も健在で、走っておりました。卒業旅行で山陽、山陰地方を廻った1961年(昭和36年)3月に宮島から広島を訪れた際、撮ったものです。鉄道ファンではない友人と一緒でしたので、ほんの数カットではありますが!このときの様子は以下のバナーをクリックし、ご覧頂きたいと思います。
次に訪れた1970年(昭和45年)には、宮島線直通用の2連接電車が入り、大阪市電から譲り受けた電車がたくさん走っており、広電が動く電車の博物館と称される時代の始まりでした。このときの様子は以下のバナーをクリックし、ご覧頂きたいと思います。
家族旅行で、山陽、山陰を廻った1982年(昭和57年)には、大阪市電に加え、神戸、京都市電が入り、宮島線直通用には3車体連接車が走り始めておりました。
350形 351 新己斐橋 1982
1958年(昭和33年)に宮島線直通も考慮して製作された350形(旧850形)が元気で走っておりました。全金属製であったこともあるのでしょうか?現在でも、3両全車、現役で走っております。
550形 551 広島駅前 1982-8
550形は500形(2代目)に引き続き1955年(昭和30年)にナニワ工機製で5両作られました。2006年までに全車、廃車になりました。
570形 579 広島駅前 1982-8
570形 572 新己斐橋 1982
570形は神戸市電500形です。1971年(昭和46年)の神戸市電全廃の年に17両譲り受けました。色もそのままで、殆ど改造されずに入線しました。神戸市電500形は大正末期から昭和初期に作られた低床ボギー車を総称しているようですが、広電には1923年(大正13年)から1928年(昭和3年)に作られた半鋼製ボギー車が主に来ました。車長13mを越える大型車で、元大阪市電の750形と同じ大きさで、この時期、主力として活躍していましたが、現在では、582以外は廃車になって仕舞いました。578は東洋一の市電と称された神戸市電の電車としてサンフランシスコのオールドトラムの動態保存車で運転されているFラインで運転されることが期待され、寄贈されましたが、右側通行のFラインで左側通行の乗降設備を持つ578は、客扱いできず、倉庫に静態保存されているようです。
600形 603 新己斐橋 1982
600形(2代目)は西鉄北九州線500形で、1976年(昭和51年)に移籍しました。西鉄北九州線500形は、1948年(昭和28年)に製作された車長13.6mの大型車で、横浜市電1300形、大阪市電1701形と共通の運輸省規格形です。西鉄時代の前後扉(折り戸)を前、中間扉(引き戸)にして、ワンマン運転車としました。現在、602のみ現役で走っております。
750形 752 新己斐橋 1982
750形 764 新己斐橋 1982
750形 768 新己斐橋 1982
750形は大阪市電、1601形、1651形、1801形を譲受し、纏めて、750形としました。
751~760は元1601形です。1928年から大阪市電初の半鋼製電車で、100両製造されました。車長13.7mの大型車で、コイルばね鋳鋼製住金製台車を履き、乗り心地が良かったとのことです。一方、一段下降の側窓で、ちょっと古臭い感じでした。
761~764は大阪市電1651形として、1940年に散水車を種車として、1940年(昭和15年)に木南車両で作られました。車長13.7m、3扉の大型車で、大きな2段上昇窓を持った均整の取れたスタイルは、米国、Pacific
Electricのハリウッドカー、Class600あたりをルーツとして、日本向けにアレンジしたようで、戦前の市電標準型として各地の市電に大きな影響を与えたようです。広電には1965年(昭和40年)に譲渡されました。大阪市電時代に2人乗務体制になり、後ろの扉がなくなりました。ほとんどの750形は廃車になりましたが、762は現役で走っているようです。
765~772は大阪市電1801形で、大きな2段上昇窓を持つ軽快なスタイルで、戦後の運輸省規格形になった戦後初めて製作した1711形の増備車として登場しましたが、電動機が異なるなどの理由で、新形式になったようです。台車が異なるようですが、1651形とほぼ同じスタイルです。768は宮島線直通電車のカラーのようですが、宮島線に乗り入れたことがあるのでしょうか??750形は762のみ、現役として残存しています。元大阪市電としては、また、900形913が現役として、走っています。
1150形 1153 新己斐橋 1982
1100形 1105 新己斐橋 1982
1100形1102と500形504 広島駅前 1982-8
1150形は神戸市電のPCCカーとして、1955年(昭和30年)に作られましたが、故障が頻発し、大阪市電の廃車の機器を使い、釣りかけ式にしたもので、1971年(昭和46年)の神戸市電全廃時に7両、広電に来ました。1100形は1150形に先立ち、1954年に自局工場で作られたもので、570形、1150形とともに5両、広島に参りました。1102はドイツ、ハノーバ市と広島市の友好を記念して初代ハノーバ―電車になりました。1102と500形(2代目)503は広告電車になっています。1102はサントリービールの広告電車でしたが、落ち着いた配色でした。現在、500(2代目)、1100形は全車、廃車。1150形は1156のみ2代目ハノーバー電車として、残っております。
1900形 1905(比叡) 広島駅前 1982-8
1900形 1915(鞍馬)と1904(かも川) 広島駅前 1982-8
1900形は元京都市電1900形です。1978年(昭和53年)の京都市電全廃時に15両すべて広島に移籍しました。行き先表示器の大型化、正面中央窓のHゴム固定、正面両側窓の上部にひさし取り付け、救助網を排障器に付け替えなどのミニマムの改造のほかは塗色もほぼそのままで、入りました。ナンバーは京都時代16から始まっていたのを1からに変え、冷房装置も取り付け、現在でも全車、活躍しております。各車、京都にちなんだ愛称が付けられており、最新LRVとともに元気で走っております。京都市電900形として、1955~57年にかけて、製造したものをワンマン化改造して1900形になったものですので、ほぼ60年走り続けていると言えます。
2500形 2510 新己斐橋 1982
2500形は広電が初めて製作した2車体連接車で、新製車と大阪市電改造の車がありましたが、これは、自社工場での新製車です。1985年に3車体連接車に改造。3100形「ぐりーんらいなー」になりました。、
3000形 3002 広島駅前 1982-8
西鉄福岡市内線の2車体連接電車1100,1200,1300形を1976年に譲り受け、1979年に3車体連接車に改造し、3000形となりました。初めての3車体連接車で、8編成あり、宮島線直通電車として活躍しました。これ以降、3車体連接車ぐりーんらいなーの増備が続き、やがて、最新低床電車LRVが導入されますが、3000形はそのさきがけになった電車とも言えるでしょう。現在、3001廃車、3005,3006はミャンマーに譲渡、5編成が、現役で活躍しております。
鉄道線である宮島線への市内線からの直通運転が、本格化しておりましたが、宮島線内での運転も続けられており、高床鉄道線電車も在籍しておりました。
1050形 1054 西広島駅 1982-8
京阪電車の木造車100形の車体更新、連結化したものとのことです。
1070形 1074 西広島駅 1982-8
1070形 1077 1982-8
1070形は1967年(昭和42年)に京阪神急行電鉄(現、阪急電鉄)の500形を8両譲受したものです。阪急宝塚線500形は車長15mの小型車でしたが、軽量全鋼車で、神戸線900形とともに当時の先端を行く電車でした。広電には、1938年(昭和13年)製の500形が譲渡されました。
老朽化と高床車廃止の方針により、1988年までに全車、廃車になりました。
今は、長編成のLRV(最新超低床電車)が活躍する日本一の路面電車、広島電鉄のかっての姿を55年前からほぼ10年おきに見て頂きました。旅の途中にちょっと見ただけのものですので、何か、遺漏があるかも知れません。お気づきになられましたら、下のポストをクリックして頂き、メールで、何なりとお知らせ頂ければ有り難く思います。
参考ウェッブサイト
ウィキペデイア、フリー百科辞典 「広島電鉄」
(2016-5-8)
(2022-4-20)元大阪市電説明追記