2005年3月31日で日立電鉄線、常北大田〜大甕〜鮎川間、18.1kmは姿を消してしまいました。

 

常北太田駅に集うモハ2000形(旧営団銀座線2000形)  2005-3-5

 

 廃止も間近い2005年3月初めに常北太田駅構内に集うモハ2000たちです。馴染みのオレンジとイエローのツートンカラーに装いを変えた両運の3000形も左端に見えます。これらは営団2000形を譲り受けたもので、1992年から導入され、それまで活躍していた電車は姿を消してしまいました。1961年(昭和36年)と1982年(昭和57年)に訪れましたので、旧形車を偲んで頂きたいと思います。

 

大橋駅で交換列車を待つモハ13  1961-3

 

 日立電鉄と言えばこの電車、モハ13が目に浮かびました。

 

モハ13形、モハ13           大橋  1961-3

 

モハ13の顔、横顔           大橋  1961-3

 

 実に、奇想天外なスタイルです。前面は2段に傾斜がついており、乗務員扉まで、変形しております。JR相模線の前身の相模鉄道のキハ1001〜1004として、1935年(昭和10年)に汽車会社により製作されたものです。1944年(昭和19年)に相模鉄道が国有化された時、国有化されなかった厚木線、現相模鉄道に移管され、戦後、電車化されたものです。全長13.5mのコンパクトな車です。1947年(昭和22年)から、日立電鉄に移り、モハ13〜16になりました。

 

モハ13の車内と側面サボ           大橋  1961-3

 

 片隅運転台、比較的大きな窓、車内はなにか?京急230形に似ているようにも思えます。230形のうちの京浜デ71形が同じ、汽車会社で、1932年に作られましたので、同一設計のところも多く、それをベースに当時の流線形ブームに乗り、こんな格好になったのかもしれません。勝手な独断ですが!名車とは言い難いと思いますが、記憶に残る電車ではあります。

 

切妻になった更新後のモハ13形、モハ14           大甕  1982-5

 

 20年後に訪れた時も、活躍していましたが、顔は削ぎ落され、切妻になり、かまぼこのような姿になっていました。

 

デハ8        久慈浜   1961-3             モハ101+クハ141    久慈浜  1961-3

 

 デハ8は1942年(昭和17年)、日立製の小型木造電車でした。資材不足の為、木造になったとのことで、1961年当時、既に予備車的存在になっていました。

 モハ101、クハ141とも元院電で、明治末期から大正初期に鉄道院新橋工場製造という歴史的な電車でした。モハ101は1972年廃止後、国鉄に返還され、鉄道100年を記念し、復元され、現在、鉄道博物館に保存展示されております。

 

モハ9形 モハ9        久慈浜   1961-3             モハ9形、モハ10    常北太田  1982-5

 

 モハ9形、モハ9、モハ10は1944年(昭和19年)に製造された日立製、自社発注車で、初めての半鋼製電車です。1982年当時も前面窓Hゴム化などを施され、活躍しておりました。

 

モハ11形 モハ11        大橋   1961-3             モハ11形、モハ12    常北太田 1982-5

 

 モハ11形、モハ11、12は1947年(昭和22年)に製造された日立製、自社発注車とのことですが、営団の注文流れで、営団銀座線1200形と同じものとのことです。1982年にも活躍しておりました。

 

モハ1300形、モハ1302           久慈浜  1961-3

 

クハ5300形、クハ5301           久慈浜  1961-3

 

 モハ1300形、クハ5300形共、国鉄に買収された宇部鉄道が製作したもので、社形国電として、富山港線などで、走った後、日立電鉄に来たとのことです。富山港線で、1958年(昭和33年)に走っていたほぼ同型の電車を下のアイコンをクリックするとご覧頂けます。

 

モハ1000形、モハ1001           久慈浜  1961-3

 

 モハ1000形は1927年(昭和2年)の小田急創業時、日車で製作したモハ1形(デハ1100形)で、1960年(昭和35年)に小田急から譲り受け、その後、相模鉄道を経て、入ったものを含め10両が在籍しておりました。1961年(昭和36年)に訪れた時にはモハ1000は3両あり、原型を留めておりました。

 

モハ1000形 モハ1003     常北太田   1982-5         モハ1000形、モハ1005    常北太田  1982-5

 

 

モハ1000形 モハ1009     鮎川   1982-5         クハ2500形、クハ2503    鮎川  1982-5

 

モハ1000形 モハ1001 常北太田  1982-5    モハ1000形、モハ1007 常北太田  1982-5

 

 1982年には車体更新したものと思われますが、東急3500形に似た車が多くなっておりました。1007〜1009は相鉄で荷持電車に改造されたので、真中が両開2枚扉にはなっておりましたが、原型に近いスタイルでした。

 クハ2503も相鉄から譲受したものですが、小田急の車ではなく、焼国電ではないかと思われます。

 

クハ2500形 モハ2501     久慈浜   1982-5     クハ2500形 モハ2501      常北太田  1982-5

 

 この電車はクハ2501と思います。とすれば、有名な東横電鉄の急行用キハ1で、相模鉄道を経て、1960年(昭和35年)に入ったようです。特徴のある流線形は、貫通扉付の電車らしい顔になっており、キハ1の面影は見受けられません。

 

デワ1           大甕  1961-3

 

 電動有蓋貨車もデワ1、2の2両ありました。電気機関車はないので、これで代行していたようです。デワ1は1927年(昭和3年)、新潟鉄工製。

 

モハ9 鮎川行           大甕  1982-5

 

 1982年(昭和57年)に訪れた時の大甕駅ホームです。モハ9の後ろに静岡鉄道から来たモハ100形が見えます。

 

日立電鉄では、昼間は単行で20〜40分ヘッド、モハ13形のような小型車でも間に合っていたようですが、朝夕のラッシュ時には15分ヘッドの運転で、輸送需要も大きかったようで、たくさんの電車を持っておりました。しかし、沿線人口の減少で、廃止の追い込まれたようでした。

 

 参考文献&ウェッブサイト

   鉄道ピクトリアル Vol.128 1962年3月増刊 私鉄車両めぐり<第2分冊>日立電鉄  

   ウィキペディア、フリー百科事典「日立電鉄線」

   JS3VXWの鉄道管理局「日立電鉄の旧型車1983、87年」

 

(2012-2-15)
(2016-10-26)タイトル改訂
(2021-1-15)常北大田→常北太田訂正


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