北陸鉄道3ー 浅野川線・金石線(1958,63年)

 金沢の近郊路線としては石川総線以外に、日本海の海岸に行く2つの路線がありました。浅野川線は文字通り浅野川に沿って、国鉄金沢駅に隣接した北鉄金沢から内灘まで行く8.2kmの路線です。これは現在も営業しています。金石(カナイワ)線は金沢駅の裏手の中橋から金石を経て大野港に至る7.5kmの軌道線で昭和46年に廃止されました。昭和33年(1958年)7月と昭和38年(1963年)9月に訪れております。この時の様子をご覧頂きましょう。

浅野川線

 浅野川線は内灘に住宅団地が出来たのと、金沢のターミナルが金沢駅前ということで、現在も通勤路線として営業しています。一昨年(2003年)11月に訪れた時、北鉄金沢駅がきれいな地下駅になっているのにびっくりしました。電車も元京王、井の頭線3000形(ステンプラカー)の8800形、8900形 になり、30分ヘッドで運行をしており様変わりしておりました。

地下駅化された北鉄金沢駅 平15/11                8800形2連(先頭8812) 三ツ屋 平15/11

 

                                       昭和33年(1958年)の浅野川線

 

 

 これは、  昭和33年に訪れた時の車内乗車券です。内灘ー粟ヶ崎海岸間は海水浴シーズンのみ運転していたようです。

 石川総線に比べ、よりローカル色が強い電車が走っていました。

 

モハ850形、モハ852 七ツ屋-北鉄金沢 昭33/7

 

モハ850形は元伊那電の車で、国鉄に買収され、冨山港線で昭和29年に廃車、北鉄に払い下げられました。モハ852は伊那電デ110、国鉄クハ5920で北鉄でも初めクハであったが、電装してモハ852になりました。大正14年、汽車製、車長約16mの木造ボギー車で、昭和37年に廃車になりました。

 

サハ220形、サハ221 七ツ屋-北鉄金沢 昭33/7

 

サハ220形、サハ221は浅野川電気鉄道創業時からの木造4輪単車です。上のモハ852に牽かれて、北鉄金沢に向かっています。大正14年、電車製造製

 

モハ570形、モハ572 北鉄金沢構内 昭33/7

 

 モハ570形も浅野川電気鉄道創業時の車で、モハ571〜573の3両あったようですが、既に、モハ571は廃車になり、残る2両が北鉄金沢駅構内で、国鉄から貨車を引き取り、構内からの専用線がある工場へ牽いて行く、仕事に就いていたようです。大正14年汽車製

 

モハ570形、モハ573 七ツ屋車庫 昭33/7           モハ3100形、モハ3102 北鉄金沢構内 昭33/7

 

 モハ3100形はモハ850形と同じく、元伊那電の車で、国鉄買収後、冨山港線で昭和30年に廃車。北鉄に払い下げられました。伊那電デ120形、国鉄モハ1920形 昭和2年汽車製。車長約16mでモハ850と良く似たスタイルですが、リベットの多い半鋼車です。北鉄は伊那電がお好きなようですが、富山港線で廃車になった車が偶然、伊那電のものだったのでしょう。

 この時代、石川総線にはモハ3000、モハ5100などの新製車が入っていたのに比べ、浅野川線はずいぶん冷遇されていたようです。

昭和38年(1963年)の浅野川線

  5年ぶりに訪れた浅野川線には、北鉄になってからの初めての新車、モハ3500型が走っていました。モハ3501、1両だけでしたが、ずいぶん近代化されたような感じを受けました。

 

モハ3500形、モハ3501 七ツ屋-北鉄金沢 国鉄北陸線の下をくぐる 昭38/9

 

モハ3500形、モハ3501 七ツ屋 昭38/9               モハ3500形、モハ3501 割出 昭38/9

 

 モハ3501は昭和36年に日車で作られたノーシルノーヘッダーの全鋼製車両で車長も15.6mと石川線のモハ3011とほぼ同じものでありましたが、こちらは両面貫通扉がありました。この1年後、折角の浅野川線の新車も加 南線に移動してしまいました。

 

モハ3100形、モハ3101 割出 昭38/9

 

 モハ3501と共に、モハ3100形が浅野川線の主力であったようです。モハ3101には貫通扉がついていますが、北鉄工場で、両運転台に改造したとのことですので、写真の顔は多分、改造した面であると思います。

 

モハ3560形、モハ3561 七ツ屋 昭38/9            クハ1650形、クハ1652 北鉄金沢構内 昭38/9

 

クハ1600形、クハ1601 七ツ屋 昭38/9

 

 モハ3560形は昭和37年に加南線のモハ1800形を直接制御からHL制御、貫通扉付に改造、改番したものです。北鉄の車両近代化?のはしりの車両でしょう?

 クハ1650形、クハ1652は変り種で、国鉄キサハ04(昭和9年、大宮工場製)を昭和37年、クハ1652に改造したものです。

 クハ1600形、クハ1601は昭和37年、遠州鉄道クハ51を日本車両を経て購入、北鉄工場で改造したものです。

これらも次の時代を担う車両といえるかもしれません。

 

金石線

 

 金石線 は江戸時代からの港町、金石に行く路線で、金石街道が金沢駅の西寄りのところで北陸本線とクロスする海側にある中橋駅が金沢のターミナルでありました。ここから、街道に沿って、金石から大野港まで走っていました。道路の端に線路が引かれており、軌道法で運営されていましたが、併用軌道ではありません。しかし、電車は簡単な救助網か排障器を付けていました。昭和46年に廃止されましたが、浅野川線が金沢駅前から出ていたのに対し、金石線の中橋は金沢駅から一寸距離があり、金沢の中心部に直結する金石街道を走るバスに勝てなかったのでしょう。

昭和33年(1958年)の 金石線 

 

 

 これは、当時の車内乗車券です。

 

モハ1200形、モハ1201 中橋 昭33/7

 

  モハ1200形、モハ1201は能美電気鉄道のデボ301です(昭和12年、木南車両製)。車長11.8mのかわいらしいボギー車です。小型ですが高床式、しかし救助網を自連の下に付けており、ポール集電です。他では余り見かけない風体の電車ですので金石線というとこの電車を思い出します。

 

サハ550形、サハ551 中橋 昭33/7                         サハ701 中橋 昭33/7

 

 

 昭和35年に訪れた時は、時間が無かったようで、中橋駅で、少し撮影したのみでした。中橋駅構内には、木造の小型ボギー車、サハ551(大正13年、日車製)、サハ701(昭和2年、日車製)がありました。サハ701は金石電気鉄道モハ11で半鋼製単車である。この年、電装を外されサハ701になりました。

 

金沢在住の友人米さんから下の画像の提供を頂きました。(2009/5/18)

 

モハ810形、モハ811 北町 昭36/5/28

 

 モハ811は日本電気車両大正13年製、池上電気鉄道、越中鉄道を経て、加南線の前身温泉電軌が購入、片山津線、能美線で使用された後、金石線に来た木造ダブルルーフボギー車です。屋根上に埋め込んだヘッドライト、魚雷型ベンチレータが印象に残る電車でした。昭和37年4月に廃車になりました。

昭和38年(1963年)の金石線

 

 5年ぶりの金石線もかなり変わっていました。

 

モハ3300形、モハ3301 大野港 昭38/9

 

 モハ3300形は石川総線モハ3010形とほぼ同じ、全鋼製、ノーシルノーヘッダーの当時の北鉄としては近代的な新製車でした。モハ3011に続き、モハ3301は昭和33年11月に日車で作られました。軌道線であり、モハ1201のような小型車が走っていた金石線に何故このような車を入れたのでしょうか?この当時、乗客が増えていたのかも知れません。

 

 大野港駅構内 昭38/9

 

モハ3301の大野港側 大野港 昭38/9                    サハ701 大野港 昭38/9

 

 モハ3301の逆位、大野港側は非貫通でした。これはモハ3011と同じでした。大野港駅の終端にはサハ701が居りました。まだ、走ることがあったのでしょうか?

 

モハ1831(大野港側)   畝田  昭38/9 

 

モハ1831(中橋側)   畝田  昭38/9 

 

 モハ1831は加南線モハ1800形、モハ1803がモハ1831と改番して移転してきたものです。(昭和17年、木南車両製) 多分、くたに号、しらさぎ号の増備で押し出されてきたものでしょう。丸みを帯びた正面の半鋼製高床車で、この当時の私鉄鉄道線の標準的なスタイルをしていますが、大野港側にポールが装備してあり、排障器も付けられています。昭和33年の訪れた時はポール集電でしたが、このときは、モハ3301とともにパンタを使っていました。直接懸架のトロリー線ですが、高速で走らないので、問題なかったのでしょうか?

 

モハ1600形 モハ1601     中橋  昭38/9 

 

 モハ1601は上田交通の丸窓電車そっくりの電車ですね。元浅野川電気鉄道、デボ2で、昭和2年日車製です。

この1年後、サハ化され、小松線に移動しました。

 

EB12形、EB123 金石 昭38/9                         EB12形、EB123(側面) 金石 昭38/9  

 

EB30形、EB301 中橋 昭38/9

 

 金石駅に北鉄名物の電気機関車もどきがいました。EB123は元能美電気鉄道の開業時の木造単車デ3を昭和34年に改造して電気機関車(もどき)にしたようです。 金石駅の貨車の入換えに専ら使用されていたようです。僚機ED121は能美線新寺井駅、ED122は石川線、白菊町構内の貨車の入換えに従事していました。

 ED301は全長約7mの小さな、凸形電気機関車です。元若松市営の電気機関車で、昭和31年に北鉄にやってきました。金石線の貨物列車の牽引に使用されていました。

 

金石線はこの8年後に廃止になって仕舞いました。昭和33年のモハ1201には満員の乗客が乗っています。電車はクラシックで小さくとも、この時代が金石線の最も良き時代であったのかもしれません。

 

参考文献

 鉄道ピクトリアル Vol.216 私鉄車両めぐり[77] 北陸鉄道(2)

 

謝辞

 金沢在住の米さんから画像の提供を頂きました。深謝いたします。

(2005-4-25)

(2009-5-18)改訂



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