1982年(昭和57年)8月はじめ、山陽、山陰地方に家族旅行に出かけました。山陰地方、唯一の私鉄、一畑電気鉄道を出雲大社参拝の道すがら、少し、写しました。
一畑電気鉄道は、電鉄出雲市~松江温泉(当時)33.9kmと途中の川跡から分かれ出雲大社前に達する8.3kmの路線を有するゲージ1,067mm、全線単線、架線電圧DC1500Vの電気鉄道です。軽便鉄道であった大正初期からの歴史を有し、出雲今市(現出雲市)から一畑薬師に参詣する路線でしたが、途中の現一畑口から分岐して松江に向う路線伸延と同時に1928年(昭和3年)に電化しました。一畑口~一畑薬師間は戦前に廃止になりましたが、社名に一畑が残りました。


デハ二50形、デハニ52    川跡      1982-8


デハニ52車内    川跡      1982-8

 電化開業の1928年に自社発注した電車が当時でも活躍しておりました。デハニ50形は4両作られましたが、当時はデハニ52、53のみが残っており、川跡~出雲大社前のローカルに単コロで使われていました。まだ、手動扉でした。手動扉の車はレンガ色に白帯の姿でした。この電車は一畑電車を舞台にした映画『RAILWAYS 49歳で電車の運転士になった男の物語』に使われ、有名になりました。


              デハ20形 デハ21          一畑口      1982-

デハ20形、デハ21はデハニ51を2扉クロスシートに改造したもので、元西武鉄道1231形のクハ100形と組んでいました。顔に信号柱が入ってしまいました。


デハ10形+クハ110形、デハ11+クハ111                雲州平田      1982-8

 デハ11はデハニ54を2扉ロングシートに改造したものでした。クハ111は電化開業した時、作られたデハ1形と同形のクハ101で、クハ11と同じスタイルでした。


デハ70形+クハ170形、デハ71+クハ171              雲州平田      1982-8

デハ70形、クハ170形は元西武300形の電動車と制御車で、1941年(昭和16年)木南車両製、西武所沢工場で、2扉セミクロスにして、入線したものです。


デハ70形デハ71とデハ60形63              雲州平田      1982-8

デハ60形、クハ160形は元西武221形の電動車と制御車で、1941年(昭和16年)木南車両製、同じく西武所沢工場で、2扉セミクロスにして、入線したものです。デハ60形、デハ70形は、昭和初期のスタイルの電化開業時の車に比べれば、2段上昇窓、丸みを帯びた前面非貫通3枚窓の戦後の日車スタイルと言われた私鉄標準型電車に引き継がれた軽快なスタイルをしておりました。


出雲大社前駅                     1982-8

 開業の1930年に作られた出雲大社前のモダンで重厚な駅舎は、現在、国の登録有形文化財に指定されております。



      国鉄大社線、大社駅                 1982-8


      ブルートレーン、寝台特急 「出雲」           大社    1982-8

 寺社建築で名高い国鉄大社駅も未だ現役でした。ブル―トレーン、寝台特急「出雲」東京行が発車してゆきました。

 一畑電鉄はモータリゼーションの影響を受け、利用者が大幅に減少し、当時、既に廃止が論議されておりました。国、県、沿線自治体などの補助金により、運営されてきており、いろいろな経営施策も講じられてきたようですが、乗客の増加にはつながらないようです。1994年(平成6年)から、京王5000系、南海2100系の冷房付カルダンドライブの電車が導入され、デハニ50形、2両を除き、このとき、お目に掛った電車はすべて、姿を消してしまいました。2006年(平成18年)から、補助金の対象を明確化するため、一畑電気鉄道は持ち株会社になり、その100%出資の子会社として、鉄道部門は「一畑電車株式会社」になりました。山陰地方唯一の私鉄として、頑張ってほしいものです。

参考文献
 鉄道ピクトリアル、1968年7月号臨時増刊 通巻212号、私鉄車両めぐり、第9分冊 京大鉄道研究会「一畑電気鉄道」
参考ウェッブサイト

  ウィキペデイア、フリー百科辞典 「一畑電車」

(2016-1-12)


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