伊予鉄道の市内線も歴史が古く、道後温泉の浴客の足の便を図るため、松山の中心部の一番町から道後、そして、古町から城の北側を通り道後を結ぶ2つの路線が1895年(明治28年)に開業したのが 始めで、1965年(昭和40年)当時、延べ、6.8kmの路線網が松山中心部にありました。
市内電車運転系統図(車内掲示) 1965-5-4
1965年(昭和40年)、ゴールデンウィークに訪れた時の運転系統は
城北線 松山市駅ー西堀端ー国鉄松山駅ー古町ー道後温泉
城南線 松山市駅ー南堀端ー道後温泉
国鉄松山駅ー西堀端ー道後温泉
本町7丁目ー西堀端ー道後温泉
でした。電車は単車(4輪車)の淘汰を終えた時期でした。
63と52 国鉄松山駅前 1965-5-4
市内線の電車のナンバーは追番になっており、ボギー車は51からで、大きく分けて
51〜61 半鋼製ボギー車で、海を挟んだ広島電鉄にも同系の電車がいたとのことです。
62〜78 全金属製軽量車体、都電杉並線2500形と同じ構造で、対岸の呉市電にも同系統の電車がおりました。
53 国鉄松山駅前 1965-5-4
51〜53は1951年(昭和26年)に伊予鉄市内線に初めて登場したボギー車で、扉が車端にあります。はじめはトロリーポールを付けていたようで、トロリーキャチャーが残っていました。この電車のバック方向は単線になっており、城北線として古町経由道後温泉に行っています。
61 大手町 1965-5-4
1957年(昭和32年)製の59〜61は防音防振台車を履き、真中の前面窓が大きくなりました。
63 大手町 1965-5-4
62〜64は1960年(昭和35年)に登場した軽量バスボディで東京都電2500形がベースであったのでしょうが、同じナニワ工機製ということもあり、呉市電1000形と瓜二つでした。
76 国鉄松山駅前 1965-5-4
78 国鉄松山駅前 1965-5-4
70〜78は1963年(昭和38年)から帝国車両で作られたもので、サイドのコルゲートがなくなっています。74〜78は新塗装
で登場しました。
59 古町 1965-5-4
城北線の古町では鉄道線である高浜線の構内をクロスしています。同じ、高浜線との大手町での平面クロスとともに有名です。
これらの電車の多くは、今でも、非連接LRV2100形と共に活躍しているようです。
参考文献
鉄道ピクトリアル1966年7月〜10月号 通巻185〜9号、私鉄車両めぐり[67]伊予鉄道
(2009-7-11)
(2016-10-28)タイトル、画像拡大