主要幹線には、電車特急やディーゼル特急が走り、東海道新幹線開業も間近になった時期に、御殿場線では本邦最大の蒸気機関車D52が活躍しておりました。殆どの旅客列車は気動車で運転されておりましたが、D52 は貨物列車ばかりでなく、少しの旅客列車の先頭にもたっていました。4往復の小田急からの乗り入れの気動車準急も色を添えておりました。

 御殿場線の山北から駿河小山にかけて、酒匂川に沿って登っており、それを渡る橋梁がハイライトでした。

 

第三相澤川橋梁

 

 酒匂川を遡り、丹沢湖からの河内川との合流点より上流は、鮎沢川と名を変えます。鮎沢川は相沢川とも言います。谷峨〜駿河小山間の第三相澤川橋梁は鉄道写真撮影の名所でした。 (尚、第一、第二相澤川橋梁は別線になっていた上り線にあり、単線化と共に姿を消してしまいました。)

 

D52403牽引下り普通旅客列車沼津行917レ   谷峨〜駿河小山     1964-1-18

 

 谷峨側からD52に牽かれた下り旅客列車が登って来ました。D52が牽く旅客列車は朝夕が多く、昼間は上り916レ、下り917レのみでした。

 

下り普通旅客列車沼津行917レ牽引D52403   谷峨〜駿河小山     1964-1-18

 

 急勾配も強力なD52には6両の客車では余裕十分のようで、かなりの速さで駆け抜けて行きました。

 

D52335牽引下り普通旅客列車沼津行917レ   谷峨〜駿河小山     1964-1-19

 

第三相澤川橋梁を渡るD52335   谷峨〜駿河小山     1964-1-19

 

 トンネルを出た列車は蒸気に巻かれておりましたので、翌日、同じポイントで、同じ列車を撮りました。

 

小田急キハ5000形2連   谷峨〜駿河小山     1964-1-18

 

 小田急新宿行、準急「朝霧」2704Dレのようです。珍しく、2連です。

 

D52236牽引上り貨物列車   谷峨〜駿河小山     1964-1-18

 

第三相澤川橋梁を渡る上り貨物列車   谷峨〜駿河小山     1964-1-18

 

 D52236に牽かれた上り貨物列車が下ってきました。

 

キハ51、3連   谷峨〜駿河小山     1964-1-18

 

 旅客列車はキハ17系2エンジン搭載のキハ51で運転されていました。

 

キハ51、3連   谷峨〜駿河小山     1964-1-18

 

川の下流側からみた第三相澤川橋梁の全景です。 1901年(明治34)複線化で下り線が作られた時、米国形の曲絃プラットトラス(シュウェーイドトラス)で建設され、これが1978年(昭和53年)まで使われました。右下に複線時代の 上り線橋梁の橋脚が見えます。

 

 山北〜谷峨間には山北側から、第一、第二、第三酒匂川橋梁がありました。

 

第一酒匂川橋梁

 

D52牽引下り普通旅客列車沼津行917レ   谷峨〜山北     1963-1-28

 

 やや、開けたところから急勾配を登るD52牽引の旅客列車を眺めたものですが、信越線や中央線のD51が黒煙を空高く吹き上げ、奮闘しているという姿とは異なって おり、余裕を持って急勾配を登っているようでした。

 

上り普通列車国府津行630Dレ、キハ51、3連   谷峨〜山北     1963-1-28

 

小田急キハ5000形   山北〜谷峨     1963-1-28

 

 第一酒匂川橋梁は1889年(明治22年)の開通時には英国形のダブルワーレントラスでしたが、1901年(明治34年)には米国形のシュウェーイドトラスに架け替えられました。これは、1983年(昭和58年)まで、使用されました。

 

第二酒匂川橋梁

 

キハ51、3連   山北〜谷峨     1963-1-28

 

  この橋梁は1875年(明治8年)製旧六郷川橋梁のポニー・ワーレントラスを移設したもの で、この写真の2年後の1965年(昭和40年)には架け替えられてしまいました。

 廃線になった上り線の橋げたも残っておりましたが、複線時代の鉄橋を渡るC53に牽かれた特急「つばめ」の写真を見た覚えがあります。

 

第三酒匂川橋梁

 

 

キハ51、3連   山北〜谷峨     1963-1-28

 

キハ51、3連   山北〜谷峨     1963-1-28

 

  第三酒匂川橋梁は 開通時にはポニーワーレントラスとダブルワーレントラスの大小2つのトラスが連なっておりましたが、前者は1916年(大正3年)に国産桁に、後者は1901年(明治34年)に米国形のシュウェーイドトラスに架け替えられました。1972年(昭和47年)の集中豪雨により、橋脚、橋台が流出、橋桁も流されてしましました。復旧後はその姿を大きく変えてしまいました。

 

谷峨駅

 

谷峨駅は元信号所であった酒匂川に沿った寂しい駅でした。

 

準急「芙蓉」御殿場行2705Dレ、小田急キハ5022   谷峨     1963-1-28

 

 

準急「芙蓉」御殿場行2705Dレ、小田急キハ5022   谷峨     1963-1-28

 

 

上り国府津行634Dレ、キハ51、3連   谷峨     1963-1-28

 

 御殿場線は車両ばかりでなく、橋梁も全て、変わってしまいました。47年前の非電化時の姿をすこしご覧頂けたと思います。

 

 謝辞

 「むーさん」から多くのインフォメーションを頂きました。

 御殿場線には疎く、旧東海道本線の有名な山越えの山北〜駿河小山間の様子はほとんど分かりませんでした。

 ありがとうございました。

 

 参考文献

   黒岩保美編「箱根越え」昭和62年7月31日プレスアイゼンバーン発行

  小西純一著「御殿場線の鉄橋をめぐって」鉄道ファン1991年6月号 

 

  (2010-6-22)
(2016-10-28)タイトル更新



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