高校まで、富山におりましたので、昭和30年代の北陸の鉄道はお馴染みでした。しかし、私鉄ファンを任じており、国鉄はあまり、撮っておりませんでした。神通川の扇状地のかなめにあたる大沢野町(現富山市)に居りましたので、1958年(昭和33年)の
1959年(昭和34年)8月信州に父の運転でドライブしたとき、ちょっと、写した
は既にアップロードしております。(上のバナーをクリックして、ご覧頂けます。)
これ以外に、地鉄などを写しに行った道すがら、撮った脈絡のない写真が残っておりました。50年前の鉄道風景ですので、ちょっと見て頂く価値もあるかな?と思い、載せることに致しました。
富山駅 1963-3
50年前の富山駅です。基本構造は新幹線開通前まで、変わらなかったように思いますが、富山地鉄のボンネットバスが、懐かしく思われます。
富山駅を発車する9600形(49608)の牽く高山本線貨物列車 1963-3
高山本線の貨物列車は9600形に専ら牽引されておりました。遠距離旅客列車はC58、猪谷までの区間旅客列車はC11でした。
D50(D50102)牽引の北陸本線貨物列車 滑川~魚津 1963-3
北陸本線の貨物列車は主にD51、たまにD50に牽かれておりました。
DF50牽引の北陸本線下り旅客列車 富山駅 1963-3
北陸本線の旅客列車にはもっぱらC57が使われて来ましたが、無煙化の波が押し寄せて来ました。C57などが煙を上げる富山機関区をバックに、富山駅に進入するディーゼル機関車DF50が牽く下り旅客列車です。
上り特急「白鳥」大阪行 倶利伽羅 1963
1961年(昭和36年)10月1日に北陸本線に初めての特急がデビューしました。大阪~青森、大阪~長野~上野間の各6両編成のキハ82特急用気動車が、直江津で併結され、堂々12両編成で、北陸本線を大阪に向いました。かっこよかったですね。営業初日の「白鳥」に上野から直江津まで、乗りました。
上のアイコンをクリック頂ければ、その様子をご覧頂けます。
氷見線の景勝地雨晴海岸を行くC11(C11303)牽引の旅客列車 雨晴~越中国分 1959-5
高岡からは氷見線と城端線の2本の支線が出ています。昭和34年にはまだ、C11牽引の旅客列車が残っておりました。
城端線、戸出駅を発車する気動車キハ10 戸出 1959-5
気動車化も進んでおりました。
七尾駅に駐泊しているC56153 七尾 1963
比較的距離の長い七尾線にもまだ、C56が活躍しておりました。
七尾駅前 1963
七尾駅前には北鉄の大きなバス発着場がありました。このころは、バスも繁盛しておりました。
キハ55で運行されていた高山本線、準急「ひだ」 高山 1959-6
1956年(昭和31年)に準急「日光」として登場した2機関搭載軽量大型準急用気動車キハ55による高山線初の準急列車「ひだ」が1958年(昭和33年)から走り始めました。このキハ55を使った中部循環準急「しろがね」、名古屋~岐阜~(高山線)~富山~(北陸本線)~米原~名古屋、と「こがね」(「しろがね」の逆廻り)が1960年(昭和35年)から、運転され、北陸本線にもキハ55が走るようになりました。この画像は、それ以前で、準急「ひだ」と思います。
謝辞
このページを作成するにあたり地元の鉄道ファン、金沢在住の米さん、石鉄さん、富山在住の522レさん、SKさんから、画像の同定など、ご協力を頂きました。謝意を表したいと思います。
謝辞
Sa Ma様より、キハ55の写真の撮影場所の同定を頂きました。深謝します。
(2016-6-8)
(2020-5-26)訂正