1958年(昭和33年)7月に鉄研の仲間と関西旅行をしました。名古屋から営業初日の近鉄ビスタカー(初代)で大阪に行き、関西の私鉄に魅了されました。

 

 

 当時、家族が住んでいた富山に帰省するため、こんな切符を買いました。北陸本線は前年、昭和32年に田村〜敦賀間が交流電化され、ED70が活躍し始めましたが、米原〜田村間は非電化のままで、蒸気機関車が牽引しておりました。

 

米原から牽引してきたE103        田村駅     1958-7-14

 

 この短距離運転にはE10が使われていました。奥羽本線の板谷峠の33パーミルの急勾配に使う為の大型タンク機関車で、ボイラーはC62と同じ大きさでした。後に北陸本線の倶梨伽羅越えの補機に使われていましたが、それがここに来たようです。5両しかなく、保守の問題もあったようで昭和37年に廃車になりました。

 

ED702が列車に接近        田村駅     1958-7-14

 

 ここから敦賀まで、ぴかぴかのED70が牽引しました。

 

ED702牽引急行「立山」503レ富山行       田村駅   1958-7-14

 

 ED70は初めての量産交流電気機関車で水銀整流器を積んでいました。水銀整流器は振動を嫌う為、客車より、乗り心地が良かったようです。

 以上3枚だけですが、交流電化のはじまりの時期に直流電化区間との間のリレーの任務に就いた戦後、唯一新製された蒸気機関車でもある巨大タンク機E10の姿と共にご覧頂きたいと思います。

 なお、2枚目の写真では暖房車が写っており、誘導する助役さんも上着を着ています。7月の画像としては、解せませんが、フィルムから追うとこの時期の撮影であったようです。

   

(2012-1-29)
(2016-10-28)タイトル更新


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