関西は鉄道ファンにとっては憧れの地でありました。1958年(昭和33年)より、東京の工学系単科大学で、鉄道研究会を創設した仲間で数年に渡り、夏休みに、関西の鉄道を訪れる合宿旅行に出かけました。関東では当時無かった高速で走る関西の私鉄に夢中になり、国電はその合間に撮る程度でした。

   東海道・山陽線  


クハ55(先頭)東海道・山陽線下り西明石行普通電車        塩屋~須磨          1958-7


クハ55(先頭)東海道・山陽線下り西明石行普通電車        塩屋~須磨          1958-7


クハ55(先頭)東海道・山陽線上り高槻行普通電車        塩屋~須磨          1958-7


クモハ51(後尾)東海道・山陽線上り高槻行普通電車        三ノ宮    1958-7     

京都~高槻~大阪~三ノ宮~神戸~西明石間の普通電車はクモハ51、クハ55などの戦前に作られた、3扉セミクロス20m車で運転されていました。貫通扉のまわりに連結幌が飛び出しているのが、東京近郊の同じスタイルの国電と比べ、精悍な感じがしました。


クハ76(後尾)東海道・山陽線上り高槻行普通電車        塩屋~須磨          1958-7

 横須賀線に走っていた70系も緩行線に入っておりました。ブドウ色、1色に塗られており、クハ76はちょっと不気味でした。 「茶坊主」というニックネームを奉られていたように思います。


クハ86(先頭)東海道・山陽線下り姫路行急行電車        塩屋~須磨          1958-7

 京都~大阪~三ノ宮~姫路間の急行電車には、80系が使われておりました。湘南色でした。

 阪和線


モハ2200形(モハ20形)(先頭)阪和線上り天王寺行急行電車        鳳    1958-7   

 戦前の超特急「くろしお」を走らせた阪和電鉄が南海山手線を経て、国鉄に買収された阪和線には阪和電鉄から受け継いだ電車が走っていました。全鋼製で200HPの高出力モータを装備し、当時の国鉄電車の水準を越えていた電車で、1953年の称号改正で、電動車はモハ2200形、制御車はクハ6200形とされ1959年の称号改正では、国鉄買収された私鉄電車としては唯一国鉄制式モハ20、クハ25が与えられました。訪れたときはまだ天王寺~和歌山の急行運用にも就いていましたが貫録充分でした。しかし、直行、急行には70系が入り初めていました。写真の電車は元阪和電鉄のクタ3000形ではないかと思われます。



クハ6200形(クハ25形)(先頭)羽衣支線東羽衣~鳳間の電車        東羽衣    1958-7   


クハ6200形(クハ25形)       鳳電車区    1958-7   


クハ6200形(クハ25形)の障子形ブラインド       鳳電車区    1958-7 

南海山手線になった後の1941、2年に竣工したクタ7000形と思われます。ノーシル・ノーヘッダーでリベットは無く、窓の上部は優雅な円弧になっており、ブラインドは障子のようなおもむきのあるものになっておりました。

colorizationサイトを使って、一部のモノクロ画像をカラー化しました。


 参考ウェッブサイト
  ウィキペデイア、フリー百科辞典 「阪和電気鉄道の車両」

(2019-6-20)


トップページ)(別館)
          (本館)