1961年(昭和36年)に国鉄初めての中空軸並行カルダン駆動高性能通勤電車101系が山手線にも走り始めました。1957年に中央線に登場したオレンジバーミリオンの全電動機、高加減速のモハ90は印象に残るものでしたが、1959年の称号改正により101系になりました。変電所の容量の関係で、4M3Tとなりました。1963年にウグイス色の103系が山手線に入り、101系は総武線に移って行きました。カナリア色の101系が山手線を走ったのはわずかな間でした。

    
101系山手線内回り電車        大崎~品川          1961-10


EF13牽引貨物列車と101系山手線外回り電車        大崎       1961-10

当時、大崎駅西口には明電舎の大崎工場、大形電機工場があり、山手線唯一工場街の雰囲気がありました。貨物ヤードと山手貨物線から品鶴線への線路、大井工場の出入庫線が並び、広々としておりました。


72系山手線内回り電車        大崎          1961-10


72系山手線内回り電車        大崎~品川          1961-10

まだ、大半は72系で運行されていました。側面窓上に小さな標識は見られますが、これは、京浜東北線との誤乗を防ぐためため「山手線」と書かれた表示板です。山手線は長い間、17m級電車で運行されていましたが、昭和30年頃から、72系に置き換えられました。この当時は「YAMATE」線と行先表示板にローマ字では書かれておりました。進駐軍の要請でローマ字併記になったとき、国鉄の通称でYAMATE線としたようです。1970年ごろ、線名の呼称を定めたとき、下町に対比した山の手は正しいとして、YAMANOTEになったようです。


クモニ13外回り荷物電車        大崎          1961-10

 山手線にも小荷物扱いが結構あったようです。クモニ13の荷物電車が運行されていました。


大井工場から出場してきた試運転列車(先頭)       大崎   1961-10



大井工場から出場してきた試運転列車(後尾)       大崎   1961-10

大井工場から101系の試運転列車が出場してきました。山手線への101系の増備が続いている最中だったのでしょう!

 ゲタ電と言われた山手線などには余り注目しませんでした。特に、72系などには見向きもしませんでしたが、改めて、見てみると、終戦後から経済成長期まで首都圏の通勤輸送を一手に担ってきた迫力を感じられました。短い間、走ったカナリア色101系と共に58年前の山手線をちょっと、ご覧頂きたく思います。

 colorizationサイトを使って、モノクロ画像をカラー化しました。(試運転電車の画像以外)

 謝辞
  畏友 小川峯生氏より、ご教示頂きました。深謝致します。
参考ウェッブサイト
  ウィキペデイア、フリー百科辞典 「101系」

(2019-6-15)


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