1959年(昭和34年)10月、大学の鉄研合宿旅行として、東北に行きました。10月16日(金)に上野を発ち、常磐線で、沿線の私鉄を見ながら、仙台に着きました。そこで、市電、仙石線、秋保電鉄などの姿をカメラに収め、交流電化の元祖の仙山線、作並を訪れました。 それから、奥羽線、福島駅を経て、白河駅に降り立ちました。この年の7月1日に東北本線黒磯〜白河間が交流電化され、交流電気機関車による運転が始まりました。新たに強力なED71が作られ、その試作機の1〜3号機が白河機関区に配属されていました。そして、ED712に牽引された列車で直流電化との接続駅黒磯に向かいました。
仙山線作並
仙台〜羽前千歳間の仙山線は仙台と山形を結ぶ都市間輸送路線ですが、1955年(昭和30年)8月に陸前落合 〜 熊ヶ根間が20kV−50Hzの交流電化試験線として電化されました。1957年(昭和32年)9月には仙台〜作並間が交流電化され、交流電気機関車牽引の営業運転が開始 されました。
交流電気機関車の試作機として、単相交流整流子電動機を使用した直接式と 交流を直流に変換し、直流電動機で駆動する間接式が作られました。
ED44形 ED441 西さん撮影 仙台機関区 1959-10-18
ED441は日立で1955年(昭和30年)6月に建造された直接式の試作機関車でした。
ED45形 ED451 西さん撮影 仙台機関区 1959-10-18
間接式の試作機として、ED451が1955年(昭和30年)7月に三菱で、ED4511が、1956年(昭和31年) 2月に東芝で、ED4521が、同年3月に日立で完成しました。これらはいずれも水銀整流器で交流を直流に変換するものでした。間接式が有利と認められ、ED451をベースにしたED70形が1957年(昭和32年)10月の北陸本線、田村〜敦賀間交流電化用機関車として作られました。
仙山線列車牽引のED441 仙台 1959-10-18
量産機では採用されなかった、交流整流子電動機駆動のED441も仙山線では走っておりました。
ED14形 ED143 作並 1959-10-18
仙山線が交流電化の試験線に選ばれたのは、作並〜山寺間20kmがDC1500Vで直流電化されていたことが大きいと思われます。1937年(昭和12年)11月にこの区間が開通し、仙山線が全通しましたが、面白山トンネルという長大トンネルがあったため、この区間だけ、電化したものです。
ここには大正末期に輸入した年代物の機関車が働いておりました。鉄道ファンにとってはこれらも魅力的ではありました。
ED14形は1926年(大正15年)米国GE社製。 中央本線、八王子〜甲府間、飯田線で走り、1950年(昭和25年)に仙山線に来ました。1960年(昭和35年)に除籍され、近江鉄道に譲渡されました。
ED17形 ED11727 作並 1959-10-18
ED17形は1923年(大正12年)から1925年(大正14年)にかけて、英国、イングリッシュ・エレクトリック社で製造された通称「デッカー」と呼ばれていた機関車のひとつです。しかし、27号機はED13から編入されたもので、伊東線、中央本線で走っていたものが転属してき ました。1968年(昭和43年)9月に仙山線が全線交流電化されるまで、使われていました。
直流/交流表示器 作並 1959-10-18
作並駅構内では、直流1500Vと交流20kVの切り替えが行われておりました。交流印加時のサインが出ておりました。
試作交直両用電車(クヤ490-11+クモヤ491-12) 作並 1959-10-18
クヤ490-11運転台 作並 1959-10-18
交直両用の試作電車が居りました。前年に日立で改造されたもので、クヤ490には交直両用パンタグラフ、交直切替装置、主変圧器、水銀整流器が搭載され、クモヤ491に直流を供給するようになっていました。 クヤ490-11は元伊那電気鉄道のクハ5901を改造したもので、クモヤ491-12はモハ73034を改造したものでした。
試作交直両用電車(クヤ490-1+クモヤ491-11) 陸前原町 西さん撮影 1959-10-18
試作交直両用電車は2編成作られました。もうひとつは仙石線の陸前原町に居りました。クヤ490−1は同じく元伊那電気鉄道のクハ5900、クモヤ491−11はモハ73050の改造です。 これらは後に仙山線で営業運転するよう改造されましたが、活躍した期間は短かったようです。
東北本線黒磯
ED71形は軸配置B−B、出力1,900kW、最高速度95km/h 電気方式20kV-50Hzで、水銀整流器で直流に変換し、直流電動機で駆動する電気機関車でした。ED70形の出力1,500kWに対し、出力を増強して、10パーミル勾配上で1200トンの列車が牽引出来るように考えられたものです。主変圧器の1次タップ切り替えとともに、水銀整流器の位相制御を行い、細かく電圧が制御出来るように設計されておりま したので、粘着力が大きく、D形でも直流電気機関車のF形に匹敵する性能を有していると考えられていました。
1959年(昭和34年)7月1日に黒磯〜白河間の交流電化が完成し、これに備えて、ED711〜3の3台の試作機は作られ、旅客の一部を列車を牽引していました。訪れたときはこの状態でした。
黒磯駅に到着のED711に牽引された旅客列車 1959-10-19
1号機が普通旅客列車を牽いて、黒磯駅に到着しました。ED711は日立製です。
黒磯駅に到着後、回送のED712 1959-10-19
白河からはED712に牽引された普通旅客列車に乗り、黒磯に来ました。ED712が役目を終え、中線を回送して行きます。
この機関車は東芝製です。
ED712に連結されている暖房車 黒磯 1959-10-19
この列車には暖房車が連結されており、機関車と共に回送されて行きました。東北線の列車は電気暖房化されることになっており、ED71にはこの為の電源が用意されていましたが、全ての客車に未だ電気暖房が設置されていなかったのかもしれません。
ED713 白河 1959-10-19
ED713が白河機関区に居りました。これは三菱製です。
ED712に変わりEF58が先頭に立つ 黒磯 1959-10-19
ED712が牽いて来た普通旅客列車の先頭にEF58形直流電気機関車が連結されました。9月22日に宇都宮〜黒磯間も電気運転を開始しました。
黒磯駅に到着した157系、快速951T 1959-10-19
訪れた時、東北本線にはもうひとつ、華やかにデビューした車がありました。黒磯までの電化と同時に宇都宮〜日光間も電化完成し、電車運転になりました。これまで、キハ55で運転されていた準急「日光」も電車化されることになり、電車特急151系とほぼ同等の豪華電車157系 が新製 されました。東武の1720系DRC(デラックス ロマンスカー)を意識してのことでしょう。準急「日光」と共に上野〜黒磯間準急「なすの」も新設されました。東京〜日光間の準急「日光」、新宿〜日光間の準急「中禅寺」、上野〜黒磯間「なすの」 を以下のように2本の157系電車で効率よく、運用しておりました。
501T 「中禅寺」(新宿7:15〜日光9:10)
951T (快速)(日光9:16〜黒磯10:49)
502T 「なすの」(黒磯10:53〜上野13:03)
505T 「なすの」(上野13:15〜黒磯15:18)
952T (快速)(黒磯15:22〜日光16:55)
506T 「日光」(日光17:10〜東京19:07)
503T 「日光」(東京8:14〜日光10:11)
5504T(回送)(日光11:05〜宇都宮入庫)
5505T(回送)(宇都宮14:36〜日光15:08)
504T 「中禅寺」(日光16:20〜新宿18:20)
折から、黒磯駅の快速951Tが到着しました。6両編成ですが、サロ(1等車)も連結されており、特急電車並の風格でした。
157系、準急「なすの」 黒磯 1959-10-19
951Tとして到着した157系はトレーンマークを「なすの」に差し替え、上野に向かって出発して行きました。2両目の窓が開いておりますが、準急として余りにもバランスを欠くということで、エアコンの取り付けは見合わせたようです。
C593牽引の下り旅客列車と退避するD51646牽引の下り貨物列車 西那須野 1959-10-19
当時、黒磯〜白河間の交流電気運転はED71が3台しかなく、試運転的に1部の列車に充当していたようで、多くの急行を含めた旅客列車と貨物列車は宇都宮まで、蒸気機関車が牽いていたようです。しかし、翌年、福島まで交流電化されますので、その活躍場所は狭められて行きました。特に軸重の重いC59の走ることの出来る仙台以南の東北本線、山陽本線と熊本以北の鹿児島本線の電化が進み、その余命が迫っていました。C593も宇都宮機関区から白河機関区に移っており、その姿を消すのも間近のようでした。でも、この均整のとれた 新製機として最後の急行用パシフィックが意外に東京の近くで走っていたのだ!と改めて、認識致しました。
東北本線の交流電気運転の始まりのころを一寸、見ることが出来ましたが、この交流電気運転の技術がやがて、新幹線につながって行ったと思いますと、折から、雨天で余り鮮明な画像ではありませんが、ご覧頂く価値も少しはあるんのか!なぁ〜と思っております。
水銀整流器は振動に敏感で、クイル式という駆動装置を用い、バネ下重量を少なくして、振動の軽減を図ったため、初期の交流電気機関車は客車より乗り心地が良かったと聞いたことがあります。水銀整流器は位相制御による無段階の電圧制御が出来ま したので、粘着力の改善に役立ち、本当にD形でもF形の力を出せたのかも知れません。しかし、水銀整流器の保守管理は難しく、シリコン整流器にとって変られましたが、位相制御が出来ません。トランスのタップ切り替えでのみ電圧を制御しましたので、粘着力は落ちたと思われます。初期のED70 、ED71は性能的には優れ物であったのかもしれません。
謝辞
作成にあたり、この旅に同行した西さんからいろいろご教示と画像を提供頂きました。また、このような交流電化の節目の姿を残すことが出来たのは、ひとえに鉄研合宿旅行を主に計画した宮さんのおかげです。深謝したいと思います。
参考文献
鉄道ピクトリアル 1959年5月号 通巻94号 桑子繁雄 「ED71形交流機関車」
鉄道ピクトリアル 1958年4月号 通巻81号 桑わだいのくるま27「世界最初の試作交直両用電車」
鉄道ピクトリアル 1959年10月号 通巻99号 星晃「日光線準急のデラックス電車」
鉄道ピクトリアル 1959年 2月号 通巻91号 今村潔「余命せまるC59形機関車」
ウィキペディア フリ―百科事典「東北本線」「仙山線」「ED14」「ED17」
(2013-1-30)
(2016-10-30)タイトル更新