かっての中央東線の甲府から北はD51の独壇場でした。貨物列車だけでなく、旅客列車もD51が牽いておりました。信州は山国でしたので、急な坂を登らねばなりません。信越本線もD51が主に活躍していましたが、D50
や、なめくじと尊称された初期半流形のD51も居 り、やや変化がありました。中央東線は標準形(規格形?)のD51ばかりでしたので、退屈な感じもして、足が向きませんでした。しかし、1963年(昭和38年)秋ころと思いますが、友人、宮さんと出掛けたようで、フィルムが出てきました。あいにく、雨模様のお天気であったようで、クリアーな写真もありません。しかし、ほぼ50年前の中央東線の姿はご覧頂く価値が少しはあるかな?と思い「おぼろな中央東線D51
」と題して、臆面もなく、載せることに致しました。
右のD51824が先頭の重連で牽引されている貨物列車がD511079の牽く旅客列車を退避しております。D51824は門デフ、いや、ここは長野ですので、長工デフでしょうか?を着けております。
また、煙突に四角い箱がかぶさっております。これは、集煙装置と称するもので、トンネル通過時に煙の排出方向を上方向から、後方に切り替え、キャブや客車への煙の進入を少なくしようとするものです。これには、上方向の煙の排出口に回転火の粉止め、通称「クルクルパー」という
回転する丸い金網で火の粉の排出を抑えるものもついておりました。外見の迫力は増すようにも思われますが、「クルクルパー」の為、煙が散ってしまい
蒸気機関車が発車したり、急勾配で奮闘する時に、煙を高く吹き上げる姿は見られなくなり、鉄道ファンの評判はよくありませんでした。中央線D51にはほとんど、これがついておりました。
この駅はかってスイッチバック駅であった韮崎駅とではないかと「おくちゃん」様より同定頂きました。 *1
霧の中からD51が現れました。右の写真の列車交換は右側通行ですね。
当時の中央東線の花形はキハ58の急行「アルプス」でした。1961年10月に登場しましたが、「白馬」「上高地」を併せて7往復走っていました。
上諏訪〜下諏訪間ですこし、撮りました。旅客列車でもD51重連で牽くものもありました。
諏訪湖に沿って少し走ります。
キハ58の急行が来ました。この当時、既にトレーンマークはありませんでした。分割、併合を頻繁に行うのに不便たったのでしょう。
あまりクリアーな写真もありませんが、50年前の中央東線の雰囲気を少しは感じて頂けたかもしれません
謝辞
同行した友人、宮さんから、これらの画像が中央東線であることを教えて頂き、載せる気になりました。
深謝いたします。
*1 「おくちゃん」様より画像の撮影場所の同定を頂きました。深謝致します。
畏友「むーさん」も同じ時期に中央東線、長坂〜小淵沢間で撮られています。
クリアなカラー画像をご覧願います。
(2012-10-10)
(2013-7-20)更新