新潟、富山県境に親不知・子不知(おやしらず・こしらず)の険があります。北アルプスから続く山脈が、日本海に落ち込んでいるところで、断崖に日本海の荒波が打ち寄せ、往時の旅人は波の引く間に走って通り抜けねばならず、遅れて、波に呑まれた人も数知れず!親子 連れの旅人もちりじりになり、親は子を!子は親を探し廻るということもしばしばであったようで、この名前がついたようです。

 ここを通る北陸本線にもここは難所でした。親不知の断崖はトンネルで通過していましたが、山と海の間を縫って走っているところも続いておりました。

 今はルートを変え、長大トンネルで抜けているところも多くなり、50年前の姿を思い浮かべることも難しくなりました。

 劣化もあり、良い写真とは言えませんが、難所を行く、往時の北陸本線の姿を一寸、ご覧頂きたいと思います。

 

 1959年(昭和34年)8月のことです。父が勤務地の富山から父祖の地の信州に車に一家を乗せて、お墓参りに行きました。

往路は安房峠越え、帰りは直江津から国道8号線経由でした。 この道すがら、少し、列車を撮りました。

 

 

 筒石と名立の間と思います。短いトンネルからC57牽引の直江津方面行、下り列車が出てきました。

 

 

 直江津に向けて、列車は走って行きます。 

日本海と山の間の狭いところを国道8号線と北陸本線が走っています。北陸本線は電化はまだで、単線でした。手前の砂利道が北陸の動脈、国道8号線です。車の姿もありません。夏の盛りですが、寂しさが漂います。

 主要国道でもこのような状態でしたので、遠距離ドライブをする人などはほとんど居なかったようです。父は大冒険をしたものです。

 

 D51(D51162と思います)が下り貨物列車を牽引して現れました。

 

 

 親不知の険をはさんで、親不知駅、市振駅があります。これは市振駅と思います。C5752を先頭にした直江津発敦賀行上り普通列車232レが下り列車を待っています。同じ年の3月ごろ撮影と思います。まだ、スノープラウを付けています。

 

 

 C575牽引の敦賀発直江津行221レ下り普通列車が市振駅に進入してきます。駅のそばには日本海が迫っています。 昼下がり、232レは14時30分、221レは14時31分に出発して行きました。

 

 

これは福井駅でのC5745牽引の下り旅客列車です。1958年(昭和33年)7月の撮影です。北陸本線の旅客列車は専ら、C57が使われていました。多分、金沢区、富山区の所属と思いますが、給水温め器には金色の輪が2本あり、印象的でした。

 

 北陸本線は複線電化、親不知あたりも長大トンネルで抜けるところが多く、大きく姿を変えました。単線、非電化ではありましたが、中遠距離交通の主役ではありました。

 その姿を少しご覧願いました。

 

謝辞

 富山在住のAIさまに撮影場所の同定にアドバイス頂きました。謝意を表したいと思います。

 

  (2008-10-20)
(2016-10-28)タイトル更新


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