大分の国鉄の印象(1964年)

 

 日豊本線には気動車特急「かもめ」が走り、急行、準急も気動車で運転されていましたが、普通列車は蒸気機関車に牽かれていました。 

 で、5月 3、4日に大分交通各線を訪れましたが、日豊本線などの国鉄の列車も垣間見ました。

 

C55重連牽引の上り旅客列車       杵築    1964-5-3

 

 C57に混じり、C55も活躍しておりました。門デフと呼ばれたドイツの機関車を思わせる独特な除煙板(デフレクタ)をかざして

走る姿はスポーク動輪と相俟って、魅力的でした。

 上の写真の左端に延びる線路は大分交通国東線です。

 

C57 53牽引の上り旅客列車、宇佐駅進入   宇佐        1964-5-3

 

 日豊線の主役はC57でした。ここのC57は門デフが少ないようでした。九州以外から転属してきたものが多かったのかもしれません。

 

後補機を従えたC57 48牽引の下り旅客列車、宇佐駅出発   宇佐        1964-5-3

 

C57 48牽引の下り旅客列車、宇佐駅出発   宇佐        1964-5-3

 

補機D60 59に後押しされ立石峠に向かう下り旅客列車、宇佐駅出発   宇佐        1964-5-3

 

 宇佐から杵築に向かう途中に日豊線の難所、立石峠があります。このため、蒸機牽引の列車には後補機がつきます。D6059に後押しされ、大分交通宇佐参宮線の跨線鉄橋をくぐり、立石峠に向かいます。前方に立石峠に繋がる山々はのぞめます。補機は峠を越えた立石駅までです。

 

キハ58系気動車準急「はんだ」湯布院行3703Dレ   湯布院        1964-5-3

 

 夜行列車を除き、急行、準急などの優等列車は気動車化されており、キハ58系で運行されていました。準急「はんだ」は直方から小倉、日田彦山線経由久大本線湯布院までの珍しいルートの準急でした。大分交通耶馬溪線の守実温泉からバスで日田に出て、この列車に乗りました。

 

キハ58系気動車準急「由布」小倉行605Dレ   湯布院     1964-5-3

 

 湯布院からは準急「由布」です。この列車は博多から鹿児島本線で久留米、ここから久大本線で湯布院を経て、大分から日豊本線で小倉終着です。大分交通国東線に乗るため、杵築まで、乗りました。

 

キハ58系気動車急行「べっぷ」広島行2402Dレ   宇佐        1964-5-4

 

 急行「べっぷ」は別府発広島行です。新幹線がある今では考えられない列車です。又、別府も観光地として、今より、ポジションが高かったのでしょう。5月4日は帰途に付く為、大分交通宇佐参宮線を撮った後、宇佐から、この列車に乗り、小倉に出ました。

 

キハ58系気動車急行「ひかり」博多・門司港行902Dレ  小倉    1964-5-4

 

 急行「ひかり」は博多から小倉経由、大分から西鹿児島行と豊肥本線経由熊本行に分割される列車でした。「ひかり」の名称は、この年の10月に営業運転をした東海道新幹線に召し上げられて仕舞いました。

 

 私鉄を写すのが主目的でしたので、国鉄の写真はあまり多くありません。優等列車は気動車化され、鹿児島本線の鳥栖辺りまで、交流電化が完成し、近代化が進んでいましたが、蒸気機関車も最後の踏ん張りを見せていました。今から思うといま少し

撮っておけばと悔いています。

(2007-7-20)


 


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