川崎市電は関東唯一の1,435mmゲージの市電でした。終戦間近の1944年(昭和19年)10月にに軍需工場の工員輸送の為、建設を開始しましたが、空襲が相次ぎ、川崎駅前から桜本まで開通したのは、1945年(昭和20年)12月の終戦後でした。1952年(昭和27年)1月に京浜急行から、桜本~塩浜間を買収し、川崎駅前~塩浜間6.7kmが完成しました。大師線全線を買収し、環状運転を行う目論見で、ゲージも1,435mmにしたようですが、実現はしませんでした。1964年(昭和39年)に国鉄塩浜操車場建設の為、塩浜~池上新田の運転を休止し、1969年(昭和44年)4月の全線廃止になって仕舞いました。折から、都電を始め、各地の市内電車の廃止の波が押し寄せ、その応接に大わらわな鉄道ファンに注目されることもなく、川崎市電は姿を消してしまいました。このため、書籍はもとより、ウェッブサイトも少ないようです。弊ホームページにもとして、取り上げてはおりますが、充分でないようです。幸い、塩浜廃止前後の写真が少しありましたので、この薄命の市電の姿を纏めました。

川崎駅前

川崎駅前電停「市電川崎」で発車を待つ600形606塩浜行        市電川崎          1962-12

川崎駅前の始発電停は、何回か?移動しているようです。1962年(昭和37年)12月のこの風景は京浜川崎駅(現京急川崎駅)からほど近く、現在のDICE前にあった始発電停「市電川崎」です。まだ、高架化前の京急本線を名車230形が走って行きました。


川崎駅前電停の700形705池上新田行          1969-3

川崎駅前電停の700形705池上新田行          1969-3


川崎駅前電停に向う500形502 川崎駅前行          1969-3

1枚目の写真を撮ってからほどなく、始発電停は交通渋滞緩和のため、400m南に移動し、「川崎駅前」になりました。京急本線も高架化され、風景が一変しました。

成就院前

市電通りを行く700形701 池上新田駅行    成就院前          1969-3


市電通りを行く200形202 川崎駅前行    成就院前          1969-3

車庫のある成就院前の市電通りを行く電車です。上は川崎駅前方向、下は日本鋼管前方向を見たものです。

渡田車庫

600形、601と 200形 204            渡田車庫                 1964-3


500形、501            渡田車庫                 1964-3


200形、207の木造車体            渡田車庫                 1964-3

 電車は開業時の都電の木造ボギー車1500形などを譲り受け200形として運行していましたが、1947年(昭和22年)に鋼体化し.前面3枚窓で中央の窓が広く、2段になったスタイルになりました。元王子電車の半鋼製ボギー車の改造車も含め、201~204になりました。1949年(昭和24年)に新製された500形、501,502は都電6000形と同じスタイルでした。600形、601,602は川崎市電独自の設計で、2枚窓、路面電車としては広幅の2,440mmの大型電車として、1952年(昭和27年)に製作され、翌年、603~607が200形の台車、電動機を使い、作られました。間接自動加速の制御装置を当時の路面電車としては珍しく、使っていました。700形701~3も1054年(昭和29年)に200形の用品を利用して、600形と同じ設計思想で作られたものですが、当初は非対象扉でした。
 このように多くの車のベースになった200形の木造廃車体が、倉庫としているのでしょうか?車庫の片隅に置かれておりました。

日本鋼管前

600形 602 川崎駅前行    日本鋼管前~東渡田三丁目          1969-3


600形 602 川崎駅前行    日本鋼管前          1969-3

 市電通りは産業道路に突き当り、電車は首都高速道路の下をくぐり、産業道路を渡り、専用線に入り、日本鋼管前電停に達します。

桜本
 
700形 701川崎駅前行  浜町四丁目~桜本     1969-3                            市電、国鉄併用踏切り  

  
700形 703川崎駅前行  桜本     1969-3    

EF15牽引の国鉄貨物列車  桜本     1969-3

 池上新田~塩浜間運行休止後、浜町三丁目~池上新田間は単線化し、海側の線路は国鉄の貨物線になりました。珍しい市電、国鉄併用の踏切り警報器がありました。川崎市電703川崎駅前行の後を追うようにEF15が迫てきました。

池上新田

600形 604 川崎駅前行       池上新田       1969-3

600形 604 川崎駅前行       池上新田       1969-3

塩浜~池上新田、運転休止後の池上新田終点です。

工場地帯を行く

200形 203 川崎駅前行 入江崎          1964-3


600形 607 塩浜行 入江崎          1964-3

 池上新田を過ぎると、工場地帯を走ります。市電は3線の単線上を走っております。上の写真の電車の左手に非電化の1,067mmゲージの線路が延びています。この写真の奥で3線線路から分岐しているように見えます。これは国鉄貨物線の交換設備と思われます。下の写真には手前に線路の終端のようなものが、見受けられます。ここから複線だった思われます。

船溜り

船溜りに沿って走る600形 602 塩浜ー塩溜橋            1964-3


船溜りに沿って走る200形 203 川崎駅前行     塩浜ー塩溜橋            1964-3

 漁船や屋形船がたむろしている船溜りがありました。このような船溜りは東京湾岸各所にありましたが、これに沿って走る市電は唯一つと思われます。

塩浜

塩浜駅遠望                  塩浜          1964-3


京急大師線 230形 276と川崎市電600形607                  塩浜          1964-3

京急大師線 230形 267と川崎市電200形203                  塩浜          1964-3

 塩浜駅近辺は荒涼とした感じでした。塩浜駅では京急大師線と並行して市電乗り場はありました。更新後と更新前の京急の名車230形と並びました。

 
   京急大師線下り線が川崎市電の線路に繋がっていた。     塩浜     1964-3

 京急大師線の下り線(3線)は川崎市電の線路に繋がっていました。大師線の下り電車は手前のポイントを左に曲がり、京急塩浜駅ホームに入りました。

注目されず、ひっそりと消えて行った川崎市電も思い返し、整理してみると変化に富み、他にはない市電であると感じました。とはいえ、片手間で撮った写真であり、撮影場所も明確ではありません。間違っているところもあろうかと思います。ご教示下さるようにお願い致します。



参考ウェッブサイト

  ウィキペデイア、フリー百科辞典 「川崎市電」

(2018-10-20)


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