戦後の復興、経済成長の中での最大イベントは1964年(昭和39年)の東京オリンピック、それに次ぐ、1970年(昭和45年)の大阪万博でした。折から、父母が住んでいた京都を訪ね、8月の夏休みに万博見物を致しました。当時は夏休みもあまり長く取れなかったようで、関西の電車も少ししか撮れませんでした。 京福電鉄叡山本線、鞍馬線は出町柳駅で一寸、撮りました。
デナ121形124が入って来ました。デナ121形は1928年(昭和3年)製作で当時で最も古い電車でした。窓の上部は丸みを帯びており、優雅さを感じさせました。ポールが似会う電車でした。
デナ124が出町柳駅に進入します。車掌さんは折り返しに備え、ポールのロープを握っております。
デオ200形204が入ってきました。張り上げ屋根、ノーシル・ノーヘッダーのスマートな電車です。1951年(昭和26年)に作られたものです。
デオ202、岩倉行が出て行きます。
デオ300形301が到着です。既に、方向表示板は「鞍馬」になっております。1959年(昭和34年)製のカルダン駆動、空気バネ装備の当時としては最新技術を適用した電車でした。
デナ500形505が入って来ました。デナ500形は元阪神電鉄831形で、1964年(昭和39年)に10両譲受しました。
デナ505が出町柳駅に到着です。ポールも良く、似会っておりました。
1981年ごろ、比叡山参拝に訪れたのかもしれません。すこしだけ、写真が残っておりました。
デナ21形はデナ121形とほぼ同じ電車でこの時は デナ21形に統合されていたようです。パンタグラフを載せ、運転台窓もHゴム支持になっておりました。
八瀬遊園終点に到着のデオ300形301です。
デオ300形302が八瀬遊園駅に進入してきました。パンタグラフが似会いました。
デオ600形は1979年〜80年にデナ500形の下廻りを流用して作ったもので、京福電鉄として最後の新車でした。
わずかな写真ではありますが、ポール時代の叡山、鞍馬線と京福電鉄としての終末期の叡山、鞍馬線の電車をご覧頂けたと思います。
参考ウェッブサイト
ウィキペディア、フリー百科事典「叡山電鉄」
(2012-5-8)
(2016-10-30)タイトル更新