京福電鉄福井支社(1958〜1963年)

 京福電鉄といっても、京都と福井を結んでいる鉄道ではなく、京都電灯(株)が経営していた鉄道部門が京都と福井にあり、これが独立して、京福電気鉄道(株)となったものです。福井支社の路線は当初、電源開発を目的とした作った福井と大野間の路線を主軸に三芦電鉄などを戦時下で合併し、1963年時点では以下の路線がありました。

                  越前本線    福井ー東古市ー京福大野 36.4km

                  三国芦原線  福井口ー芦原ー三国港   25.2km

                  永平寺線    金津ー東古市ー永平寺   24.6km

                  丸岡線     本丸岡ー丸岡ー西長田     7.6km

 総延長93.8kmもありました。

 現在では、えちぜん鉄道として、下記路線が運行されています。

                            福井ー勝山間         27.8km

                            福井口ー三国港       25.2km

                   

1963年時点の京福電鉄福井支社路線図

 京福電鉄福井支社の鉄道ファンのアトラクションはなんと言ってもテキ511形(テキ511,512)でした。これは明治43年に信越本線、横川ー軽井沢間の碓井峠アプト区間の電化の際、ドイツのアルゲマイ ネ社から輸入した本邦最初の電気機関車EC40が前身です。ラック用電動機は外され、3動軸と電動機280HPがロッドで結ばれております。ロッド式電気機関車は日本 では碓井峠のアプト式機関車以外に無かったと思います。蒸気機関車を思わせる走りはユーモラスでファンには人気がありました。積雪に強いとのことで、雪の中をモクモクと走り、除雪に活躍したようです。

テキ511形、テキ511 三国  1963-9-21

 

 テキ511は越前本線や三国芦原線の貨物列車を牽引していたようです。上の写真は三国芦原線の貨物列車を牽くテキ511です。この当時、貨物も多かったようです。 しかし、元はアプト式機関車ですので、鈍足であったと思います。電車の運行の邪魔にならなかったのでしょうか?

このテキ511は1964年に国鉄に呼び戻され、原型に復元され、鉄道記念物として軽井沢に保存展示されることになりました。

 

テキ511形、テキ512(凸側) 福井口  1963-9-21    テキ511形、テキ512(切妻側) 福井口  1963-9-21

 テキ512は福井口におりました。車庫の入れ替えに使われていたようです。正面は凸形ですが、反対側は切妻になっていました。 オリジナルのEC40は両方にボンネットがありましたが、テキ511形(テキ511、512共)は、片面はボンネットを取り外して、デッキを付けたようです。

テキ7形、テキ9 新福井  1963-9-21

 いまひとつ、面白い車がありました。テキ7形(テキ7,9)です。全長7mと小型で、単車、黒一色で、電気機関車というより、電動貨車でした。しかし、妻面は3枚窓、丸くなっており、窓の上にはRもついており、愛嬌のある顔をしていました。大正9年(1919年)梅鉢鉄工所製、52kW、2台の電動機を持っていました。はたして、何両の貨車を牽けたのでしょうか?

テキ6形、テキ6 福井口  1963-9-21              テキ6形、テキ6(側面) 福井口  1963-9-21

 テキ6型(テキ6)はテキ7型と同じですが、制御装置が違っていたので、形式が異なっています。

 遅れましたが、これから、電車を紹介いたします。この当時、未だ、自社発注の電車、および、その改造車が主体でありました。

ホデハ11形、ホデハ19 永平寺線末政 1961-3-14

 ホデハ11形(ホデハ11〜14、16、18,19)は1928年日車製、元三芦電鉄の車両です。前面フラット、非貫通3枚窓、手動3枚扉、一段下降窓、おわん形ベンチレータの半鋼製ボギー車で、昭和初期に地方電鉄用に作られた典型的なスタイルの電車です。ドアー袋には丸窓があったとのことです。

ホデハ11形、ホデハ13 福井 1963-9-21

 

 ホデハ11型の中で、ホデハ13は1945年、戦災で焼失したものを復旧したもので、2段上昇窓になりました。

 

ホデハ21形、ホデハ21 福井口 1963-9-21

 ホデハ21形(ホデハ21)は、ホデハ11型ホデハ20が1935年、福井車庫で焼失、復旧したもので、2段下降窓になり、腰板も低くなり、やや新しいスタイルになり、形式も変わりました。

ホデハ201形、ホデハ201 福井口 1963-9-21          ホデハ211形、ホデハ211 福井口 1963-9-21

 

 ホデハ201形(ホデハ201,202)は1927年日車製の半鋼 製ボギー車を1949年車体更新したものです。戦後の標準タイプですね。

 ホデハ211形(ホデハ211,212)は1928年日車製、半鋼製ボギー車で、11形と殆ど同じですが、こちらは京福電鉄発注で当初から越前本線に使われていたようです。 写真はありませんが、ほぼ、同じホデハ221形(ホデハ221、223〜225)もありました。

 

ホデハ231形、ホデハ231 福井口 1958-7-15          ホデハ233形、ホデハ233 福井口 1963-9-21

 ホデハ231形(ホデハ231〜233)は1937年川車製の半鋼製ボギー車ですが、大きな2段上昇窓で腰板が低い昭和10年代のスマートなスタイルになりました。左のホデハ231は原型に近く、右のホデハ233はこれから5年後の撮影ですが、正面真ん中の窓にHゴムがはめられ、顔が変わりました。京福だけでなく、この時代、窓がHゴム化されるものが、多かったようですが、押しなべて、醜くなったように感じました。

ホデハ241形、ホデハ241 福井口 1958-7-15     

 ホデハ241形(ホデハ241〜244)は京都本社叡山線のホデハ11形4両が1944年福井に転属、付随車として使用され、後にホデハ241形として、電動車化されたものの、台車、電気部品を使用し、1957年、車体を日車とナニワ工機で新製したものです。全金属性、ノーシルノーヘッダー、2段窓で、上側はHゴムで固定された当時の最新のスタイルをしていました。転換式クロスシートを備え、越前本線、三国芦原線の急行に主に使われていました。写真は三国港ー福井間の海水浴臨時急行として運行されていた時のものです。

ホデハ251形、ホデハ252 福井口 1963-9-21     

 ホデハ251形(ホデハ251〜254)は1957年福井口車庫火災で焼失した電車の台車や電気品を使用して、ホデハ241形と同じ車体を1958年、日車で新製したものです。ホデハ241 形とほぼ同じですが、前面は金太郎塗りわけになりました。

ホデハ301形、ホデハ301 福井 1958-9-21          ホデハ301形、ホデハ302 福井 1963-9-21

 ホデハ301形(ホデハ301〜304)は1947年の福井震災後の車両不足を補う為に、東急3250形4両を譲受したものです。この時代、テキ511形を除き、唯一、他社から譲渡された電車でした。 301、303は前面貫通扉付、302,304は前面非貫通でした。 東急3250形は池上電鉄が1928年に汽車会社で新製した100形、5両及び200形、3両の半鋼製ボギー車です。同じ年に作られたホデハ11形に比べれば、2段上昇窓を持ち、東京の郊外電車の雰囲気を持っています。

ホデハ1001形、ホデハ1003 福井ー新福井 1963-9-21     

 ホデハ1001形(ホデハ1001〜1003)は1949年、名鉄3800形をモデルに両運化したものを日車で新製したものです。京福自社発注車としては、初めて、貫通扉を持っている電車で した。当然ながら、名鉄スタイルですが、名鉄から譲受したものではありません。

ホサハ17形、ホサハ17 福井口 1963-9-21          ホサハ61形、ホサハ62 新福井 1963-9-21

 

 ホサハ17形(ホサハ17)は永平寺線ホデハ103の電装解除したもので、車体はホデハ11と良く似ており、丸窓が残っております。

 ホサハ61形(ホサハ61,62)は1948年に帝国車両で新製した国鉄63型構造の付随車です。

 

ホサハ17形、ホサハ19 福井 1963-9-21

 ホサハ17形(ホサハ19、21、22)は1919年に梅鉢鉄工所で作られたダブルルーフ木造ボギー車です。叡山線の電車に似ていますが、当初から福井支社の車で、電動車を電装解除したものです。

ホデハ102形、ホデハ102 永平寺線末政 1961-3-14

 ホデハ102形(ホデハ102)は永平寺線の車で、1929年、日車製の半鋼製ボギー車です。車体はホデハ11と同じですが、集電装置はY型ビューゲルでした。丸窓も残っていました。

デハ1形、デハ1 福井口車庫  1958-7-15         ホデハ101形、ホデハ101 金津 1963-9-21

 

 デハ1形(デハ1)は1925年、加藤車両製の元永平寺鉄道の4輪単車でありましたが、1936年ボギー車化され ました。しかし、全長9mの車体には何か不釣合いです。1958年訪問時は、福井口車庫の入れ替え用として働いていました。

 ホデハ101形(ホデハ101)は永平寺線の全身、永平寺鉄道開通時の電車で、1925年、加藤車両製です。

 

 永平寺線は北陸本線、金津(現、芦原温泉)から東古市で、越前本線と交差、永平寺に達している路線で、当時から1時間ヘッド運転で、閑散路線でした。

 


 

 京福電鉄(福井)には1958年(昭和33年)〜1963年(昭和38年)の間に3回訪問しました。

 

 1958年(昭和33年)7月15日 

  近鉄、初代ビスタカー営業初日(7月11日)の列車に乗るため、関西に行き、富山に帰郷する途中に寄りました。

  あまり、時間もとれなかったので、福井口の車庫まで行き、少し撮りました。

 

 1961年(昭和36年)3月14日

  年寄りを連れて、永平寺参詣の為、金津から京福電車で、永平寺まで往復しました。

  この夜は芦原温泉泊まりでした。鉄道撮影行でないので、わずかしか、写真は撮っていません。

 

 

  1963年(昭和38年)9月21日

   友人と北陸地方の私鉄めぐりの旅に出て、福井鉄道を訪れた後、京福に来ました。

   この時も、福井、福井口車庫とその近辺で撮影しました。

 

 

ということで、多くはありませんが、現在のえちぜん鉄道とは全く異なる40年前の京福電車の顔をご覧頂きたく思います。

 

  

  1984年(昭和59年)夏

   出張の途次でしょうか?ちょっと、訪れました。数編ですが、下記アイコンをクリックしますとご覧頂けます。

   


電気機関車は参考にした下記資料にデキとありましたので、デキとしましたが、テキが正しいとのご指摘がありました。

形式図にもテキとあるとのことですので、テキに訂正いたしました。

ご指摘頂きました翌檜鉄道さんに謝意を表したいと思います。(2006-5-2)

 

参考文献

 鉄道ピクトリアル Vol.90,91 私鉄車両めぐり  京福電気鉄道

 カラーブックス 日本の私鉄8 東急 宮田道一著  昭和56年9月5日発行 保育社

 

 尚、画像の撮影場所の特定にあたり、福井のファンOさんに大変お世話になりました。

 

(2005-10-5)

(2010-5-11)リンク追加更新


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