戦後の復興、経済成長の中での最大イベントは1964年(昭和39年)の東京オリンピック、それに次ぐ、1970年(昭和45年)の大阪万博でした。折から、父母が住んでいた京都を訪ね、8月の夏休みに万博見物を致しました。当時は夏休みもあまり長く取れなかったようで、関西の電車も少ししか撮れませんでした。
浜大津から急行260形が東山の急坂をおり、蹴上のびわこインクラインの前を京阪三条に向っています。急行は高床式電車でステップもありません。
急行とすれ違いの四宮行普通電車80形が登ってきました。高床式電車ですが、急行用電車と異なり、路面電車スタイルでステップが付いています。
都ホテルの前を行く80形普通電車です。車内は混んでいるようですが、窓はすべて開け放たれ、8月の暑い京都ではありますが、風が車内に入り、涼しげに感じられます。
背後の東山から下りてきて、山科の日ノ岡停留所にさしかかる80形普通電車浜大津行です。
日ノ岡電停を通過する300形急行浜大津行です。併用軌道の安全地帯だけの日ノ岡電停を高速電車スタイルの300形が通過する風景は一寸奇妙な感じが致します。
日ノ岡電停での客扱いを終えて発車する浜大津行普通80形です。国道一号線の筈ですがそんなに車の行きかいが激しくなかったように思います。
以上、万博の年の夏の京津線の一コマです。
それから、3年後、1973年(昭和48年)10月に再び、京阪京津線、日ノ岡の近くの父母の家を訪ねました。
京津線の電車はパンタグラフ集電になっており、80形は2両連結になっておりました。
(2012-4-28)
(2015-8-1)画像追加
(2019-2-13)一部修正