京浜急行230形は幼な馴染みの電車です。昭和二桁の初めに横浜の浦島が丘の近くで、生を受け、京浜電車で、花月園(遊園地でした。)や川崎大師に連れて行ってもらったものです。半室開放型運転台からは運転士のマスコン操作を良く見ることが出来ましたし、最前部の窓を開放して、線路を見下ろしておりますと、すごい速やさで枕木が吸い込まれてゆき、そのスリルと速度感は未だに覚えております。

デハ254(先頭)   屏風が浦  1960年8月

 

 1930年(昭和5年)に湘南電気鉄道デ1形、1932年(昭和7年)に京浜電気鉄道デ71形として作られたものが、後の増備車も含めて、戦時統合で東急に併合された時、5230形となり、戦後、京浜急行電鉄として、分離した時、230形となりました。低い腰板、大きな窓と昭和一桁生まれとは思えない軽快な電車で、関東私鉄きっての名車と言っても良いでしょう。

 戦後は、クハ140を真ん中に挟んだ3両編成で、急行としても走っていました。戦前の京浜電車はダークバーミリオン(暗朱色)一色でしたが、はやりのツートンカラーになり、窓周りは黄色になりました。運転室も閉鎖形になりましたが、半室で、最前部まで座席がありました。

 

デハ272             浦賀    1958年6月

 クハ140を組み込んだものは編成美に欠けるところがありましたが、230系だけの編成もありました。 

クハ358             浦賀    1958年6月

 この編成は浦賀側にクハ350形、クハ358が連結されていました。230系の戦災車をクハとして復旧したもので、京浜101形として、1940年(昭和15年)に製作された3扉の車 をベースにしたようです。リベットが少なく、スマートな感じもしました。 先頭電動車主義の京浜急行としては、先頭に出るクハは珍しい存在でした。その後、その殆どが、電動車化され、デハ230の仲間入りをしました。

デハ291(先頭)     大師線 産業道路ー小島新田 1962年12月

 年を経るに従い、大師線の運用が多くなりました。デハ291はクハ350を再電装して、電動車になったもので、3扉でした。

デハ275(先頭)     大師線 産業道路ー小島新田 1962年12月

 

 大師線でもクハ140形を中に挟んだ3両編成で運転されていました。クハ140形は正面5枚窓、たまご形の電車デハ140形の電装を解除したもので、実質的には、サハとして、使っていました。大正末期に作られた半鋼車で、木造のデハ120形と良く似ていました。230系が主役になる前はこの電車が京浜電車の顔 だったようですが、幼い頃の120、140形のイメージは、お大師さまに行く電車でした。これらの写真を撮影した頃には絶対先頭に出ることはありませんでした。既に、40年を超えるお歳でしたが、乗り心地はよかったように覚えています 。

 

デハ275(先頭)     大師線 小島新田ー塩浜   1962年12月

 

デハ292(先頭) 大師線 産業道路 1962年12月           デハ280 大師線 塩浜 1962年12月

 

 230系の顔は大きな3枚窓、運転台以外の窓は2段上昇の為、桟があります。下段を開放した場合、乗客がするりと落ちることも考えられますので、今では、無理でしょうね?車幅一杯のアンチクライマーも顔を引き締めております。おでこの通風器は湘南デハ1形、京浜デハ71形はこの位置にヘッドライトがあったので、無く、京浜デハ83形から設けられたようです。

 大師線は産業路線の性格も持ち、塩浜では、川崎市電と顔を並べました。

 

デハ259(先頭)     大師線 産業道路ー小島新田 1962年12月

 

 塩浜ー小島新田間は臨海線操車場新設の為、1964年(昭和39年)に廃止になり、小島新田駅も産業道路寄りに移設されました 。上の写真を撮影したところは現在、移設後の小島新田駅の構内となり、単線になっているようです。

 

(小島新田ー塩浜の休止間近に訪れた大師線と川崎市電の模様についてはこの画像をクリックしてご覧願います)

 

 

 

230 車内   1962年12月

 

 照明は未だ白熱灯で、朝顔形のシェードがありました。窓が大きいので、座席の背ずりは低く、転落防止の為か、窓の外側下部にはバーが 通してありました。

 片隅運転台は閉鎖型になってしまいましたが、かっての開放型の時の仕切りは腰板の高さしかなく、その上はパイプで仕切られていただけでしたので、運転士は細身のコントローラーをカリカリという小気味良い音とともに廻し、加速するのを目の当たりに出来ました。又、横には ドアースイッチがあり、運転士がドアーの開閉も行っていました。開放形の仕切りをそのままにして、その上に板の仕切りを継ぎ足し閉鎖形にしたようで、前面の窓まで、座席があるのは変りありませんでした。

 

デハ244(先頭)         子安    1960年

 本線、普通に230系だけの編成も僅かに残っておりました。

デハ234  .横浜       1962年12月

 

 最後には1両で、荷物電車として使われることもありました。

 

デハ236(先頭)  逗子線 湘南逗子       1962年12月

 

デハ244(先頭)    逗子線 神武寺湘南逗子 1962年12月

 

デハ249(先頭)    逗子線 神武寺湘南逗子 1962年12月

 

 1962年ごろより、230系の車体更新が行われました。全室運転台にして、2両固定編成、アルミサッシ化、前面固定窓、ヘッドライトのシールドビーム化、アンチクライマーも片隅だけになり、塗色もダークバーミリオンに白帯になり、大きくその容貌を変えました。

 

デハ276(先頭) 空港線 大鳥居ー穴守稲荷 1969年3月

 

デハ276(先頭) 空港線 大鳥居ー穴守稲荷 1969年3月

 

デハ276(先頭) 空港線 大鳥居ー穴守稲荷 1969年3月

 更新後の230系も、本線から引退し、空港線などの支線区に専ら使われるようになりました。大きな窓等、軽快な趣きは残っており、それなりに好もしい電車と思っていましたが、これも、 1978年(昭和53年)に完全に姿を消してしまいました。

琴電に行った230もご覧願います。               

 参考文献

  鉄道ピクトリアル1970年10月号臨時増刊、通巻243号 京浜急行電鉄特集 私鉄車両めぐり「京浜急行電鉄」

  友人KKさんに撮影場所の特定等で大変お世話になりました。謝意を表します。

(2006-6-25)
(2016-10-30)タイトル、一部画像拡大更新


   大学の鉄研以来の友人で、ホームページの作成については大先輩のむーさんのホームページ

にデハ230のデティールが載って居ります。

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