伊勢湾台風による被害の復旧に合わせて狭軌1,067mmゲージから、標準軌1,435mmゲージに拡幅する工事が完了した1959年(昭和34年)12月から、大阪上本町~名古屋間のノンストップ名阪特急が運転されました。この頃、新ビスタ―カーと呼ばれ、最近ではビスタカーⅡ世と呼ばれることが多い10100系が名阪特急用に竣工し、颯爽と走り始めました。同時に、高速、長距離電車の元祖と言うことが出来る名車2200系も名古屋線に移り、急行運用に主に就いていました。狭軌用電車も台車を履き替え、最後の頑張りを見せておりました。1961年(昭和36年)2月に訪れ、改軌後の変化のある近鉄名古屋線を少し、カメラに納めました。
ビスタカーⅡ世 10100系
10100系ビスタカーⅡ世、大阪上本町行ノンストップ特急 近畿日本八田 1961-2-19
10100新ビスタカーⅡ世、大阪上本町行ノンストップ特急 海山道ー近畿日本四日市 1961-2-19
10100系は中間に2階建てのビスタカーを挟んだ3両連接のユニット編成を1~3ユニットつなくことにより、3~9両編成に出来る伸縮自在になっており、ユニット編成にはA,B,Cの3種類がありました。A、B編成は1端が流線形、他端が丸妻になっており、C編成は両端とも丸妻になっておりました。A+BもしくはA+C+Bとしますと、両端とも、流線形になり、新ビスタカーのイメージ通りになりますが、丸妻が先頭にくることも多かったようです。運転台の窓のみが高くなっており、ユニークなルックスになっており、これはこれで悪くないように思いました。
10100系新ビスタカー、名古屋行ノンストップ特急 近畿日本四日市 1961-2-19
近鉄四日市駅は当時、近畿日本四日市駅と称しており、まだ、地上駅でした。折から、名古屋行ノンストップ特急、ビスタカーⅡ世10100系6連が颯爽と通過してゆきました。
2200形
モ2200形、モ2206 急行伊勢中川行 海山道ー近畿日本四日市 1961-2-19
モ2200形、モ2201 急行名古屋行 近畿日本八田 1961-2-19
モ2227形、モ2231 回送列車 宇治山田 1961-2-19
ク3110形、ク3112 普通桑名行 海山道ー近畿日本四日市 1961-2-19
モ2200形は1930(昭和5年)に開通した参宮急行電鉄の大阪上本町~宇治山田間を最高速度110km/h、伊賀山中の33パーミルの急こう配を高速で走破した電車で、新幹線にまで発展した我が国の長距離高速電車の元祖と言っても過言でない名車でした。名古屋線の改軌により、名古屋線急行としても、走っておりました。
モ2200形の増備車モ2227、その制御車ク3110形は1940年(昭和15年)の紀元二千六百年祭典に合わせて作られました。モ2200に比べ、張り上げ屋根で、よりスマートな感じでした。
6421、6431形
6421形 6622 、名古屋行特急 近畿日本八田 1961-2-19
6431形 6432 宇治山田行特急 宇治山田 1961-2-19
6421形は大阪線2250系に相当する特急車で、1435mmゲージの改軌のとき、台車を履き替え、伊勢特急として、走っていました。6431形はビスタカーⅠ世10000系が登場したとき、その接続特急車として作られ、伊勢中川~名古屋間で運行されていました。同じく、改軌後も台車を変えて、伊勢特急に使われて来ました。
モ6301形、モ6301 急行名古屋行 海山道ー近畿日本四日市 1961-2-19
モ6311形、モ6316 急行宇治山田行 近畿日本四日市 1961-2-19
モ6301、モ6311形は戦前の1937年、1942年に作られた名古屋線の急行用電車です。改軌に伴い、標準軌の台車に履き替えたものです。
モ1600形、モ1607 準急塩浜行 海山道ー近畿日本四日市 1961-2-19
これは訪れた時、走り始めたばかりの新車モ1600形モ1607+ク1608です。名古屋線初めての全金属製、WN駆動の区間用高性能電車で、肌色にブルーの帯をしめたスタイルでした。
謝辞
沿線にお住いの鉄道ファン、前田照彦様より撮影場所の同定など、ご教示頂きました。深謝致します。
参考文献
鉄道ピクトリアル通巻102、1960年1月 私鉄車両めぐり(38) 近畿日本鉄道[1]
鉄道ピクトリアル通巻104、1960年3月 私鉄車両めぐり(38) 近畿日本鉄道[3]
(2020-4-30)