中学の修学旅行で、近鉄モ2200に乗った時、関東で生まれ、育ったものとしては、こんな素晴らしい電車があったのかと脳裏に焼きつきました。 大学の鉄道研究部に入ってから、度々、友人と関西を訪れましたが、必ず、名古屋から近鉄経由で関西に入りました。1958年(昭和33年)7月11日には初代ビスターカーが営業開始し、この初日に(名古屋ー)伊勢中川ー上本町間 の「かつらぎ4号」に乗りましたが、モ2200はじっくり撮ることが出来ませんでした。このため、その翌年、翌々年 と訪れ、すこし、その姿を留めることが出来ました。
モ2200形 モ2202(先頭) 大和八木ー耳成 1959−7-16
参宮急行電鉄開通の1930年(昭和5年)に出現したモ2200形は大阪上本町ー宇治山田間の長距離急行(宇治急)として快走しました。車長20m、150kW電動機4台を搭載した超弩級のこの電車は大和盆地、伊賀盆地などでは最高速度110km/hで疾走しました。
大和八木を出発し、宇治山田に向かう宇治急です。
モ2227形 モ2231(先頭) 名張 1960−4−28
モ2227形は新2200形とも言われたと思いますが、性能、主要目は全くモ2200形と同じでしたが、張上げ屋根など、よりスマートな姿で、1940年(昭和15年)に出場しました。
中学の修学旅行の時、伊勢中川から乗ったのはこの電車でした。当時の国鉄の2等車と同等の転換クロスが並んだ車内にも目を奪われましたが、ほぼ直線で伊賀山中に延びている1435mmの急勾配のレールをかなりの速度で駆け登って行くのを前面窓から見て、興奮致しました。1959年7月に訪問した時はこの電車が撮れず、翌年 4月改めて、撮りに行きました。
モ2202、モ2231共、前面左側には窓が無く、いわゆる片目でした。ここには、トイレがあるのですが、このスタイルがこの電車の容貌をよりダイナミックにしていました。
ク3100形 ク3102(先頭) 名張 1960−4-28
上の写真のモ2231は名張駅での大阪行急行の宇治山田側ですが、大阪側はク3102でした。ク3100形はサ3000形と共にモ2200形のファミリーで、宇治急の編成に入っていました。
モ1300形 モ1302(先頭) 大和八木ー耳成 1959−7-16
耳成山を背景に宇治急を待ちましたが、榛原行準急等の区間列車にも敬意を表しました。モ1300形はモ2200形と同時に作られた区間列車用でしたが、雰囲気は一寸違っていました。
モ1400形 モ1407(先頭) 耳成ー大和八木 1959−7-16
モ1400形はモ2227形と同時に作られた区間車で、前面はよく似ていました。
モ2000形 モ2004(先頭) 大和八木ー耳成 1959−7-16
モ2000形は1948年(昭和23年)製の区間車で、戦後の混乱期に作られたもので、やや見劣りもしましたが、大阪線の大型車の伝統は生きていたようで、走る姿は結構、堂々としておりました。
モワ1800形 モワ1800 大和八木ー耳成 1959−7-16
大阪線、唯一の木造の電動貨車モワ1800がやってきました。近鉄の前身、大軌が奈良線の開通時に作った木造車体を改造したもので、この当時、未だ、橿原線に走っていたモ200形と同じスタイルの電車でした。
以上、大凡50年前のモ2200系等の面影でした。
撮影技術も未熟で、遠方から撮った写真の部分切り取りの画像もあり、ややクリアーでないものもありますが、我が国の高速電気鉄道の元祖の近鉄大阪線の雰囲気をすこし、感じて頂ければと思います。
参考文献
鉄道ピクトリアル1960年1月号通巻102号 私鉄車両めぐり(38)近畿日本鉄道(1)
(2008-1-21)
(2016-10-31)タイトル、一部画面拡大更新
(2020-4-28)リンク追加