北恵那鉄道は中央本線(中央西線)中津川の駅の裏手にある中津町から下付知まで、22.1km、1,067mmゲージ、電化(架線電圧DC600V)の電車線でした。 木曽川水系の電力開発を申請した電力会社に命じられた許可条件として、木曽川の支流、付知川の木材運搬用の軽便鉄道の建設があり、この電力会社の子会社として北恵那鉄道が発足し、軽便ではなく、一般貨物や旅客も扱う地方鉄道として、1924年(大正13年)に開通したものでした。
1965年1月の成人の日の連休に 東濃鉄道を訪れた後、中津川に降り立ちました。国鉄駅の裏手のすこし離れたところに北恵那鉄道中津町駅はありました。
中津町駅構内 1965−1−17
構内は広く、車庫もありました。車庫にはモ560形が3両休んでいるのが見えます。線路は国鉄中津川駅とつながっており、貨車の受け渡しをしていました。
モ560形 モ562 中津町 1965−1−17
名鉄瀬戸線のモ560形、モ561〜4が当時、名鉄の系列会社になっていた北恵那鉄道に1964年(昭和39年)から譲渡されたものです。ナンバーはそのままで使っていました。
モ560形は1926年(大正15年)から日本車両で製造された半鋼製ボギー電車でした。
1961年(昭和36年)に瀬戸線を走っていた姿を上のアイコンをクリックしますとご覧頂けます。
モ563が下付知より到着 中津町 1965−1−17
モ563が下付知より到着 中津町 1965−1−17
木曽川と二つの中津川橋梁を渡り、モ563が入って来ました。貨車を一両牽いているようでした。
デ1形 デ2 中津町 1965−1−17
デ1形は開業時の1924年(大正13年)、梅鉢鉄工所製の木造単車(4輪車)でしたが、1957年(昭和32年)名古屋市電の台車を購入、ボギー車化されました。デ1〜4までありましたが、デ2のみ木材運搬等の為の電気機関車代用として残り、他は廃車になっていました。
このほかにデ8形として旧鶴見臨港の電車も走っていたようですが、姿を見かけませんでした。訪れた時は営業は全てモ560形で行い、デ8形は予備車として、何処かの駅に留置されていたのでしょう。
1973年(昭和48年)に電車の運行は朝夕のみになり、1978年(昭和53年)に廃止になってしまいました。
参考文献
鉄道ピクトリアル1960年12月 臨時増刊 私鉄車両めぐり<第1分冊>北恵那鉄道
(2011-1-25)
(2016-10-31)タイトル更新