神戸市電はかって東洋一の市電と言われて来ました。路線規模は都電や大阪市電に敵いませんが、その洗練されたスタイルとカラー、クロスシートの電車を登場させることにより、その評判はより高くなったようです。
700形722 阪神三宮駅前交差点 1958-7-12
1958年(昭和33年)と1959年(昭和34年)の夏休み、7月に大学の鉄研の合宿旅行で、関西に行ったとき、撮った神戸市電の姿をちょっとご覧頂きましょう。
300形304 脇浜町 1959-7-15
400形406 1958-7-12
木造単車(4輪車)300形、400形もまだ活躍しておりました。
500形589と750形757 須磨駅前 1958-7-12
500形は神戸市電最初のボギー車で、大正末期に作られた我が国最初の低床木造ボギー車から昭和初期に作られた半鋼製ボギー車まで含まれていましたが、589は後期の半鋼製ボギー車です。
600形602 1959-7-15
600形609 1958-7-12
600形は500形の木造車を1937年(昭和12年)に自局工場で鋼体化改造したものです。
700形706 須磨駅前 1958-7-12
700形は神戸市電が「東洋一の市電」の名声を得た立役者でした。大きな側面窓と張り上げ屋根、スマートな3枚窓の前面のスタイルと転換クロスシートの車内、弾性車輪を用いた静かな走りは、昭和10年代初期の市電の水準をはるかに越えていたようです。1935年(昭和10年)から1938年(昭和13年)にかけて、自局工場で、500形を改造し、40台作られ、後期の721からは全鋼車でした。しかし、乗客の増大により、ロングシートに改造され、訪れたときはロングシートでした。
750形757 須磨駅前 1958-7-12
750形757の車内 1958-7-12
戦後、1949年(昭和24年)から700形の後継として、751~760が自局工場で製作され、1953年(昭和28年)製の756~760には転換クロスシートが装備されました。1958年に訪れたときは転換クロス車は健在でしたが、これも乗客収容力の問題でラッシュ時に使用できず、10年で姿を消してしまいました。
800形802 1959-7-15
1937年(昭和12年)に700形を作るとともに、より大型の3扉車の800形が作られました。スタイルは700形とほぼ同じでした。
900形901 1959-7-15
900形910 脇浜町 1959-7-15
戦後の1947年(昭和22年)から1949年(昭和24年)にかけて、800形とほぼ同じ900形が46両作られました。自局工場ではなく、木南車両製です。
900形925 1959-7-15
この900形、925は国鉄和田岬線をオーバークロスしている橋を渡っております。
和田岬線列車 1959-7-15
8620形蒸気機関車が牽く和田岬線の列車が橋の下を行きます。右は川崎車両の工場(現川崎重工兵庫工場)で京阪電車2001形が搬出されるのが見えます。
1000形1014 1958-7-12
1000形は900形の増備として、日立他のメーカで20両作られたもので、扉がやや広くなった程度で、900形と大きく変わりません。
1100形1101 元町6丁目電停付近 1959-7-15
1100形は1954年(昭和29年)に自局工場で3両作られたもので、非対称2扉になりました。
1150形1156 三宮駅前交差点 1958-7-12
1150形は神戸市電のPCCカーで、1955年(昭和30年)に直角カルダン駆動と並行カルダン駆動を各1台試作し、その結果、並行カルダン駆動とし、1153~1156の6両を1956年(昭和33年)に川崎車両で製作しました。その後、故障が多く、1961年に釣りかけ駆動に改造されてしまいました。この1155は登場間もないカルダン駆動と思われます。
訪れたときはPCCカーも出現し神戸市電の最後の華やいだ時期と思われます。これから、10年あまりで姿を消すことになりました。
参考ウェッブサイト
ヴィキペディアフリー百科事典「神戸市電」
謝辞
鉄研旅行に参加された友人の西さんにこのページ作成に際し、多大なご協力を頂きました。謝意を表したいと思います。
hiroki Matsuura様より、撮影場所の同定を頂きました。深謝申し上げます。
詳細なメモも残っておらず、撮影場所も特定できない写真がほとんどです。もし、お分かりの方がおられましたら、下記ポストをクリックしてメール頂ければ、有り難く思います。
(2013-6-30)
(2021-9-23)撮影場所追記