京浜急行230形は腰板が低く、大きな窓が並んでおり、軽快、俊足を誇っておりました。しかし、1978年(昭和53年)に穴守線を最後に京急線上から完全に姿を消してしまいました。この電車を高松琴平電鉄が譲り受け、走らせているとのことでした。このころ、対岸の倉敷に頻繁に出張しておりましたので、時間を作って会いに行きたいものと思っておりました。 1983年(昭和58年)春の土曜日だったと思います。やっと、実現致しましたが、高松築港から瓦町にかけて、少し撮っただけでした。
モハ31+クハ32 高松築港 1983−3
早速、元京急230形のモハ31+クハ32が入って来ました。サーモン・ピンクとクリームのツートンカラーも似合っていました。
モハ31、モハ1021 高松築港 1983−3
高松築港駅にはモハ31、志度線、八栗行とモハ1021、琴平線、琴平行が並んでいました。以前は志度線DC600V、琴平線DC1500Vと架線電圧が異なっておりましたので、高松築港〜瓦町間は単線2線で運行されていましたが、志度線がDC1500Vに昇圧されましたので、複線運用になっていました。
モハ35 片原町 1983−3
元京急230の30形は高松築港側の車が電装解除され、クハになり、MT編成で運行されていました。 これは琴電の3代目30形になりますが、2代目30形は元阪神880形「喫茶店」でした。
30形 33 今橋 1965-5-5
1020形は元名鉄3700形で、同じく、高松築港側がクハでした。
モハ1035 瓦町 1983−3
クハ81、クハ230、クハ32 瓦町 1983−3
瓦町は琴平線、志度線、長尾線の3線が入っている琴電中枢の駅です。志度線はここでスイッチバックをして、屋島、志度方面に向かいました。長尾線は当時、瓦町が終着でした。長尾線ホームにはクハ81とクハ230が居ました。
モハ65、モハ72 瓦町 1983−3
長尾線のモハ65+クハ230、モハ72+クハ81が並んでいました。モハ65は元京浜電鉄の木造車でありましたが、車体新製したものでした。モハ70形モハ72は元東濃鉄道駄地線モハ100形、モハ102で、同じ東濃鉄道駄地線クハ200形のクハ81とコンビで走っていました。この東濃クハ200形は南武鉄道モハ100形で、国鉄に買収された後、電装解除され、クハになりました。
クハ230+モハ72 瓦町 1983−3
クハ230+モハ72の長尾線列車は発車してゆきました。
モハ300+モハ315 瓦町 1983−3
その脇の留置線にモハ300+モハ315が留っておりました。1926年(昭和2年)の琴電創業時の電車3000形です。元は琴平線の電車でしたが、志度線、長尾線に転属しました。当時は300.315は長尾線で走っていたようです。
モハ335 高松築港 1983−3
3000形モハ335は志度線で走っておりました。
モハ1053 片原町 1983−3
クハ1054 高松築港 1983−3
1053形、モハ1053+クハ1054は元阪神ジェットカー5230形です。琴電初めてのカルダン駆動の電車でした。オリジナルは3扉でしたが、琴電入線後。中央の扉をつぶし、2扉になりました。
モハ335、モハ1053 高松築港 1983−3
当時の琴電の最新形の1053形と創業時からの3000形が揃って、見送ってくれました。
多分、2時間ぐらい撮影し、早々に、帰途に着いたものとおもいます。依って、全て、駅撮りになってしまいましたが、1965年(昭和40年)に訪れた琴電とは顔ぶれが大きく異なっていました。創業時以来の電車も健在ではありましたが!
(2010-5-3)
(2016-10-31)タイトル更新
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京急230形については下記をご覧頂きたいと思います