地元のISEさまより、「高松琴平電鉄琴平線(1965年)」「高松琴平電鉄志度線(1965年)」の画像の撮影場所の同定を頂き、その場所の現在の風景を撮影した写真を送って頂きました。早速、45年の時の移ろいを「琴電今昔」としてまとめました。
1965年撮影の右側の写真を除き、すべて、ISEさま撮影です。
陶信号所(跡)
1965年に訪れた時には、畑田〜陶間の陶信号所で、1201+1202の急行「りつりん」と交換しました。陶信号所は1958年に急行運転を行うために開設したもので、1991年には陶駅に交換設備を設置することで、廃止になりました。
岡本駅下り方向
2010年の写真の電車は琴平行下り電車、1965年の1000形140は高松築港行上り電車です。
岡本駅上り方向
45年間で意外に風景は変わっておりません。
仏生山駅上り方向
ホームはあまり変わっていないようですが、旧京急700形と旧宮城電鉄の木造車では電車の風景は大きく変わりました。
仏生山駅留置線
510が入線しているのは仏生山3番ホームで、左の写真の左手に止まっている電車の向こう側です。
最近の琴電琴平線の写真も送って頂きました。
動態保存されている20形、23号の月イチのイベント列車で先頭を走った晴れ姿です。この電車は旧大阪鉄道(近鉄南大阪線)の車で、琴電生粋の電車ではありませんが、このように大事にされ、幸せな電車ではあります。
500号は最近仏生山駅の引き上げ線で昼寝しているのでそこをパチリ。
元京急1000形の1080形も、このように今日も元気に走っています。オレンジとクリームのツートンカラーも良く似会い幸せそうです。その昔、京急230に会いたい京急ファンは琴電詣でをしましたが、この伝統は変わらないようです。
仏生山車庫の主?デカ形1です。1965年の琴平線のページの「1000形,3000形,5000形」1枚目の1000形 110の右端にちらりと写っている細長い車体がこれです。数年前に更新工事を受けてきれいになり、台車も3000形あたりの廃車発生品に変わりました。
瓦町駅は長尾線高松築港側から琴平線側を望む形での撮影です。駅ビルになり、志度線が分離してかつての面影は見当たりません。
琴電志度駅
終点、琴電志度駅のホームは大きく変わらないようです。
琴電志度駅上り方向
1965年の写真左に写っている石垣は、今の写真の石垣がそれと思われます。
春日川駅
線路配置、ホームや鉄塔が変わらない事は驚きです。
今橋駅
駅舎はモダンになりましたが、構内踏切など駅の構造は変わっていないようです。
今橋駅上り方向
志度線分離で、行き先が「高松築港」から「瓦町」になったのはやや寂しい感じも致します。
45年前と今の風景を比べ、楽しく纏めさせて頂きました。コメントはISEさまから頂いたものに小生の感慨も付け加えさせて頂きました。
琴電は地方私鉄としては珍しく、今も昔とほぼ同じ路線網を維持し、走り続けておりますので、このようなことも出来るのだと思います。琴電の検討をお祈り致します。
謝辞
このページはISEさまからの写真、コメントにより作らせて頂きました。
本当にありがとうございました。
(2010-8-10)
(2016-10-31)タイトル更新