高松琴平電鉄(琴電) はいろいろな鉄道から電車を譲り受け、うまく、使っており、その多彩な顔ぶれを見るのは楽しいものでした。1965年(昭和40年)には琴平電鉄創業時の電車も大活躍でした。フィルムを整理していて、どのように、ご覧頂くか?迷いましたが、形式別にして、車両だけでなく、43年前の琴電の風景を楽しいんで貰う為、比較的大きな画像をたくさん乗せました。画面をスクロールしながら。ご覧頂きたいと思います。

 

 

 一寸、ご覧になりにくいと思いますが、当時、車内に掲げられていた路線図です。

高松築港ー琴電琴平32.9kmの琴平線、瓦町ー長尾間14.6kmの長尾線、瓦町ー琴電志度12.5kmの志度線から成っており、地方私鉄としては珍しく、ゲージ1435mmの標準軌です。1965年当時は琴平線の架線電圧はDC1500V、長尾線、志度線はDC600Vでした。先ず、本線格の琴平線に行きましょう。

 

1000形,3000形,5000形

 

 1000形、3000形は琴平線の前身、琴平電鉄が開業の大正15年(1926年)に自社発注した半鋼製ボギー車です。1000形は汽車会社製で、ノーヘッダー、戸袋が丸窓になっていました。形式番号は4桁ですが、電車には3桁で表示され、その2桁目が車により繰り上がる面白いナンバーリングでした。

 

1000形 110 仏生山  1965-5-5

 

1000形 120   滝宮       1965-5-5

 

1000形 130    羽間      1965-5-5

 

1000形 140    岡本      1965-5-5

 

2000形 210     仏生山     1965-5-5

 

 2000形は宮城電鉄が大正15年(1926年)に新製した木造車で国鉄を経て、譲り受けたもので、1000形のクハとして走っていました。他の切り妻の木造車に比べ、中央の真ん中の窓が大きく、風貌が変わっていました。 

 

3000形 325     羽間     1965-5-5

 

 3000形は1000形と同時に琴平電鉄が導入したもので、こちらは日車製で、ヘッダーがありました。1965年当時、3000形の殆どは志度線に転籍していましたが、325だけは、琴平線に残っていました。ナンバーリングは何故か?300、315、325と進んでいました。

5000形 510 仏生山  1965-5-5

 

 5000形は昭和3年(1928年)に増備されたもので、丸窓も無くなり、正面もよりフラットでした。メーカーが加藤車両で、1000、3000形に比べ、平板な感じでした。

 

5000形 500 仏生山  1965-5-5

 

 1000形、3000形、5000形は撮影した時、既に、車の年齢は40歳を越えていましたが、最近まで活躍し、動態保存されているものもあるとのことです。幸せな電車達ですね。

 

7000形

 

 7000形は総武鉄道(現、東武野田線)が昭和4年(1929年)に開通に備えて作ったもので、戦後、東武が新製車の割り当ての見返りに、琴電に譲渡したものです。2段上昇窓を備え、昭和初期の半鋼製電車のスタイルをしています。

 

7000形 710 仏生山  1965-5-5

 

 7000形、720とカップルを組んでいた920は元山陽電鉄の昭和2年(1927年)製の制御車でした。

 

7000形 710 仏生山  1965-5-5

 

10000形

 

 昭和27年(1952年)に久しぶりに新製した電車で2両固定編成MM駆動、、「こんぴら号」のトレーンマークをつけていました。

張上げ屋根、ノーシル・ノーヘッダーで、小田急の御殿場線乗り入れ気動車5000形に一寸似ていました。クロスシートを備えていました。

 

10000形 1002+1001   滝宮        1965-5-5

 

1010形

 

 10000形に続く、新製車で、メーカーでボディーのみを作り、自社でぎ装を行い昭和35年(1960年)に出場した湘南タイプの前面2枚窓の電車です。クロスシートを備えており「こんぴら2号」と命名されたとのことですが、トレーンマークはありませんでした。この電車から型式が4桁に戻りました。

 

1010形 1012+1011 仏生山  1965-5-5

 

12000形

 

 昭和33年(1958年)に急行運転開始に備え、国鉄より、旧身延鉄道のモハ100形、クハユニ300形を譲り受け、固定編成化して「りつりん号」と名付けました。

 

12000形 1202+1201   陶信号所       1965-5-5

 

12000形 1201+1202          1965-5-5

 

 1202はクハユニの改造であることは窓配置で良く分かり、片側に扉は一つしかありません。荷物室も客室にして、ロングシートを置いたようです。元からの客室はクロスシートでした。

 

20形

 

 近鉄南大阪線モ5621形の車体を譲り受け、阪神から購入の台車を履かせた電車です。南大阪線の前身、大阪鉄道が大正14年(1925年)に電化に際し新製したデロ20形で、前面、丸みを帯びた5枚窓、側面の窓上には半円形の装飾窓があった豪華な電車であったようですが、前面はフラットな貫通扉つきに改造されてしまいました。モ5621の下二桁を取ったのか、もしくはデロ20にちなんだのか、20形となりました。当初、志度線に入れるつもりで 、2桁のナンバーにしたようですが、出力が大きかったので、琴平線を走る事になったようです。

 

20形 21    滝宮       1965-5-5

 

20形 22 仏生山  1965-5-5

 

22には窓上の飾り窓が残っていました。

 

20形 23     岡本     1965-5-5

 

 この他、1964年(昭和39年)に電車運転を止め、気動車化した玉野市営電鉄のモハ100形が仏生山車庫に置いてありました。

この後、整備して750形となり、琴平線で走る事になりました。

 

 

玉野市営電鉄100形、102 仏生山  1965-5-5

 

 

1965年(昭和39年)のゴールデン・ウィーク、5月5日に一瞥した琴電、琴平線の姿でした。全ての顔ぶれではありませんが、当時、活躍していた主な電車は撮れたと思います。43年前の沿線の雰囲気も感じて頂きたかったので、多くの画像を出来るだけ大きく載せました。

 

 謝辞

  地元ご出身のISEさまより、撮影場所の判定をして頂きました。殆どの画像の場所が確定できました。 

   本当にありがとうございました。

 

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 参考文献

  鉄道ピクトリアル 1966年11月、12月号 通巻190,191 私鉄車両めぐり[69]高松琴平電気鉄道

(2008-4-17)

(2010-8-10)改訂
(2016-10-31)タイトル更新



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