(リニューアル版)

 九州の市内電車は私営軌道が多かったのですが、熊本の市内電車は熊本市交通局が運営する文字どおりの市電でした。1924年(大正13年)の開通以来の 市営です。

 日本で最初のVVVFインバータ駆動の電車やLRV(最新低床路面電車)の導入などで名を馳せてきましたが、60年前には総延長25.2km、6系統の運行をする広い路線網を有しておりました。ゲージは1435mmです。戦前はすべて木造単車で運行してきましたが、戦後、1948年(昭和23年)から大型ボギー車を作り、全金属製ボディの軽快なスタイルの車も登場させました。1,2,3系統の幹線系統はすべて大型ボギー車で運行されていましたが、4,6,7系統の支線では木造単車(4輪車)で運転されていました。まず、車両のプロフィール、そして市電の風景をご覧頂きましょう。

 

市電路線図 宮さん撮影

 

乗換券(部分拡大)

 

乗換券と乗車券

 

 1系統から7系統までありましたが、5系統は運行されていませんでした。市電路線図と乗換券(部分拡大)を辿り当時の運行系統を見てみましょう。(当時、熊本市電では、系統番号を号線と呼んでいた覚えがありますが、ここでは系統番号としました。)

 

       1系統   田崎橋〜熊本駅前〜辛島町〜水道町〜藤崎宮前〜子飼橋 
      2系統   熊本駅前〜辛島町〜水道町〜交通局前〜健軍
      3系統  上熊本駅前〜新町〜辛島町〜水道町〜交通局前〜水前寺体育館
      4系統  上熊本駅前〜広町〜藤崎宮前〜水道町〜交通局前〜水前寺体育館 
      5系統   (運転中止) 
       6系統   南熊本駅前〜辛島町

      7系統  辛島町〜慶徳校前〜川尻町

 

 5系統はかっては 南熊本駅前〜辛島町〜水道町〜交通局前で運転されていたようです。

     

 1〜3系統が幹線のようで、ボギー車で運転され、4,6,7系統は専ら単車で運転されていました。熊本市電でも、戦前は全て単車で運行されており、その淘汰の為、戦後まもなくの1948年(昭和23年)からボギー車を毎年、新製していましたが、この当時は、木造単車も多く残っておりました。

 現在は2系統と3系統のみが運行されており、2系統は田崎橋ー熊本駅間が延長され、3系統も上熊本ー健軍間になっています。現在では、それぞれA系統、B系統と称しているようです。

 電車のプロフィール

120形123 市役所前    1964-4-29

 

1948年(昭和23年)に作られた熊本市電初めての半鋼製大型ボギー車120形です。車長12m、中間扉のある地方都市の市内電車としては大きなもので、従来の単車の2倍の定員があ ったそうです。130形も同時に作られ、全く同じ電車ですが、メーカーが違う為別型式になったようです。

 

130形134 市役所前 宮さん撮影   1964-4-29                          150形153  市役所前    1964-4-29

 

170形172  市役所前    1964-4-29                    180形184  市役所前    1964-4-29

 

 

188形188  八丁馬場〜市民病院前    1964-4-29

 

 120、130形に続き、毎年、ボギー車を増備し、形式は製作の度に変わりましたが、中央窓のやや大きい3枚窓のスタイルはかわらなかたようです。188形はノーシル・ノーヘッダで、窓も大きくなり、軽快なスタイルになっています。これらの車両は現在では殆どが廃車になっていますが、160形の1063、180形の1081、1085、188形(190形)の1091ー1097が残っているようです。

 

200形203  市役所前    1964-4-29

 

 

350形353  八丁馬場〜市民病院前   1964-4-29

 

 1958年(昭和33年)に出現した200形は全金属製ボディのようで、軽快なスタイルになりました。1960年(昭和35年)に作られた350形もほぼ同じ電車ですが、製造年にあわせて、350形を名乗ったとのことです。200、350形はパンタグラフを載せていました。そういえば、架線は路面電車としては珍しく、カテナリーでした。200形は1200形、350形は1350形として、現在も活躍しています。

 

380形382  市役所前   1964-4-29 

 

 1963年(昭和38年)に大阪市電の名車901形、10両を譲受し、380形として、活躍していました。大阪市電901形は前面傾斜の付いた2枚窓、側面の膨らんだ流線型で、1935年(昭和15年)から作られた大阪市電のイメージに浮かぶ電車でした。NHKの朝ドラ「いもたこなんきん」にCGで出てきた有名電車です。この後、2回に渡って、譲渡され、熊本で、大活躍したようです。1972年(昭和47年)で廃車になったようで、 輸送力増強の短期リリーフであったようです。

市電の風景ー1,2,3系統
熊本駅前


1系統 130形135 子飼橋行  熊本駅前   1964-4-29


1系統 120形122 田崎橋行  熊本駅前   1964-4-29


2系統 188形189 健軍行  熊本駅前   1964-4-29

辛島町三角分岐


辛島町三角分岐    1964-4-29

熊本の中心、辛島町には珍しい三角分岐がありました。

右に行けば辛島町電停、市役所前から水道町、健軍方面。中央に延びる線は西辛島町電停、新町経由上熊本方面及び慶徳校前・熊本駅前・川尻町方面。中央から左下に行く線と下部の左に行く線が南熊本駅前}行(6系統)になり合流してから別に辛島町電停が有りました。
161の後が産交バスターミナル 後の山が金峰山です。 

 161は3系統、上熊本発市役所前から水前寺体育館前に行きます。15は回送になっていますが、辛島町から川尻町に行く7系統に運用されている電車でしょう。

お城前・市役所前・通町筋 

 

3系統 水前寺体育館前行 380形388  お城前 宮さん撮影  1964-4-29


1系統 熊本駅前田崎橋行 180形184 市役所前    1964-4-29


1系統 子飼橋行200形206 3系統 上熊本行188形193 市役所前    1964-4-29


3系統 上熊本行380形387 市役所前〜通町筋    1964-4-29

水前寺公園近く 

 
2系統熊本駅前行 200形208  市民病院〜八丁馬場    1964-4-29

熊本県の木のクスノキの大木が電車の上に覆いかぶさっておりました。
1系統は幹線系統でしたが、1972年に水道町〜子飼橋間が廃止になり、1系統は消滅しました。藤崎宮前の次の浄行寺手前で道路がクランク状になっており、その先は道が細く、子飼橋まで単線で、渋滞が激しく、電車もノロノロ運転だったようで、この交通事情を改善するためもあり、廃止になったようです。

上熊本駅前


3系統 水前寺体育館前行 160形163  上熊本駅前  1964-4-29

市電の風景ー4,6,7系統

6系統(辛島町〜南熊本駅前)


6系統 南熊本駅前行 10形18  辛島町    1964-4-29


10形30  南熊本駅前付近   1964-4-29


10形18  南熊本駅前   1964-4-29

 6系統の辛島町電停は三角分岐を南に曲がったところにありました。7系統もこの電停に発着していたようです。
10形は1924年(大正13年)の開業時に作られた木造単車(2軸、4輪車)です。10形にはエアーブレーキが設けられていたので、このような木造単車が、この当時まで、生きながらえることが出来たのかもしれません。6 号線(南熊本ー辛島町間)は専ら、この電車で運転されていました。
 6系統は1970年(昭和45年)に廃止になりました。

7系統辛島町〜慶徳校前〜川尻



長六橋上を走る10形23       河原町ー迎町  宮さん撮影   1964-4-29

 7系統川尻線を走る10形です。7系統も専らこの電車であったようです。川尻線(慶徳校前ー川尻町)は1965年(昭和40年)に廃止になりました

 

4系統(上熊本駅前〜藤崎宮前〜水前寺体育館

 

4系統 水前寺体育館行 60形69  藤崎宮前〜白川公園前 宮さん撮影  1964-4-29

 60形69は1938年(昭和13年)生まれの木造単車です。昭和二桁の時代に未だ、木造単車が作られたとは驚きです。
 4系統、上熊本発藤崎宮前経由(水前寺)体育館前に向かいます
かっては、上熊本〜藤崎宮前間は熊本電鉄の路線でしたが、経営が厳しく、市電の路線になったようです。

 

 

  参考文献、ウェッブサイト

  鉄道ピクトリアル1962年8月号臨時増刊通巻135号 私鉄車両めぐり<第3分冊>熊本市電 
  Wikipedia「熊本市交通局」

 

(2022-2-23)


 


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