昭和39年九州鉄道大旅行(1964年)

 昭和39年(1964年)のゴールデンウィークに大学の鉄道研究会時代からの友人宮さんと九州の鉄道を訪れる旅行に出かけました。訪れた鉄道は国鉄はもちろん

  西鉄(北九州線、大牟田線、宮地岳線、福岡市内線)、筑豊電鉄、荒尾市電

  島原鉄道、長崎電軌、熊本市電、熊本電鉄、鹿児島市電、南薩鉄道

  大分交通(別大線、耶馬溪線、国東線、宇佐参宮線)

とほぼ全ての私鉄にお目にかかりました。

 社会に出て、3年目ですので、ゴールデンウィークを休暇でつなぎ、4月25日(土)に出発し、5月5日に帰る10日間の旅行は正に大旅行でした。後から追いかけて来たSさんも加わりました。

 

 4月25日、東京駅18:20発の特急「みずほ」で出発です

 

 

みずほ食堂車

 

 九州周遊券6200円とみずほの特急券800円、寝台券800円だけでも、当時の給料からすれば高額でした。この旅行の為に一生懸命、貯めたのでしょう!張込んで、食堂車で夕食を摂りました。

 

ED73 13に牽引され門司駅を出発する特急「みずほ」7レ熊本行

 

 門司10:02到着です。ステンレスボディの関門トンネル専用の交直両用機EF30に牽かれ到着した20系客車編成の「みずほ」は交流機ED73に交代し、10:06博多に向かって出発して行きました。

 愈々、九州鉄道大旅行の始まりです。九州周遊券をフル活用して、九州全域を廻ろうという訳です。10月には東海道新幹線が開業するという年ですので、九州内の国鉄もDC準急などが走るようになっていましたが、九州は結構広く、廻るルートにはかなり知恵を絞りました。

 

旅行ルート(この図をクリックしますと拡大図がご覧頂けます)

               

 この図は宮さんが旅行を計画した時、作った九州の鉄道全図のイラストに旅をしたルートを記入したものです。いささか、見難いと思いますが、旅行日ごとに色分けしてあります。これに、沿って、訪れた鉄道を各1枚の画像とともに、ご紹介いたします。この写真をクリックして、各鉄道の詳細ページに入って頂けるよう、考えています 。

言わば、「昭和39年九州鉄道大旅行」のインデックスページですが、これ自体、やや長くなると思います。スクロールしながら、お付き合い願います。

 

@ 4月26日(日)  

   10:02門司―(鹿児島本線)−小倉―(西鉄線北九州、北方線撮影)−小倉―(日豊本線)―城野―行橋−

  (田川線)−伊田―(伊田線)−直方(徒歩)--筑豊直方−(筑豊電鉄-黒崎(貞元)--黒崎―

  (鹿児島本線)−博多−(鹿児島本線)−二日市  (泊)

 

 門司駅でIさんが待っていてくれました。

 小倉まで行き、西鉄北九州線に先ずご挨拶です。

 

西鉄北九州線605    小倉魚町 

 

 西鉄、北九州線は門司(門司港)−小倉ー黒崎ー折尾間の北九州本線と戸畑、枝光、北方の3支線を持っていました。これに傍系で直通運転をしていた筑豊電鉄線を加えると、 総延長61kmにもなる日本最大のトラムラインでした。又、門司ー折尾間の所要時間は1時間34分で、これも一本の運行系統としては最長でした。ゲージは1435mmで、連接車も走り、訪問したころ は最盛期を迎えていましたが、1985年(昭和60年)から部分的に廃止になり、2000年(平成12年)に全線廃止になりました。

上の写真をクリックしますとのページに入ることが出来ます。

 

西鉄北方支線 323        小倉魚町

 

 小倉魚町からはゲージ1067mm北方支線が出ていました。 他の北九州線とは違った風貌の電車が走っており、連接車もありました。昭和55年(1980年)にいち早く廃止になってしまいました。

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 運炭列車がまだ残っていた筑豊のヤブとも言われた石炭輸送の為の支線に乗ろうということで、日豊本線で行橋まで行き、田川線、伊田線を乗り継ぎ、直方まで行きました。

 

C5546            直方

 

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 C11、9600、D50などが活躍していましたが、筑豊本線では門デフをつけたスポーク動輪が美しいC55を初めて見ることが出来ました。

 直方駅から少し歩き筑豊電鉄、筑豊直方駅です。

 

2連接車1032    筑豊直方

 

 筑豊電鉄は西鉄の子会社として、北九州から直方経由福岡まで行く計画を持っていましたが、直方まで、開通したことで

一段落してしまったようです。北九州線と直通運転し、西鉄の車両が乗り入れて、筑豊電鉄の車両はありませんでした。

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 九州初めての夜は二日市温泉で、くつろぎました。菅原道真ゆかりの天拝山にも近い、歴史のある古い温泉でした。

 

(全て宮さん所蔵)

 

 旅のスタートを祝い、温泉に浸かりながら、一杯やったような覚えがあります。

 

A 4月27日(月)  

   西鉄二日市―(西鉄大宰府線)−大宰府―(西鉄大宰府線)−西鉄二日市―(西鉄大牟田線)−西鉄福岡

   --天神―(福岡市内線)−貝塚―(宮地岳線)−名島―(宮地岳線)−貝塚―(福岡市内線)−西鉄福岡―

  (西鉄大牟田線)―大牟田―(西鉄バス)−荒尾(荒尾市撮影)―(西鉄バス)−大牟田―(鹿児島本線)

   −鳥栖―(長崎本線)−諫早−(県営バス)−雲仙―(島原鉄道バス)−島原  (泊)

 先ず、西鉄二日市より支線で大宰府の天神さまに良い旅が出来ますようお参りしました。

西鉄大牟田線200形  西鉄二日市

 

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 大牟田線は本線75km、九州唯一のゲージ1435mmの高速電鉄で、西鉄福岡から大牟田まで、クロスシートを備えた特急が走っていました。 小型、軽量、俊足の200形も未だ本線の各停で活躍しておりました。でも、大宰府支線、甘木支線で運用されていることが多いようでした。

 福岡市内線も西鉄の経営でした。 戦前の西鉄合併時には2輪電車が殆どで、その改善の為、北九州線から、転属した木造ボギー車101形も走っていましたが、新造連接車もたくさん走っていました。

 

西鉄福岡市内線110  西鉄福岡駅前

 

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 まだ、岩田屋がターミナルデパートであったころの西鉄福岡駅前を走る古風な110です。 博多駅、西鉄福岡、天神、貝塚などのターミナルを結ぶ主要な足でしたが、交通渋滞解消のためか? 昭和54年(1979年)にいち早く、姿を消してしまいました。

 宮地岳線はおなじ西鉄とは思えないゲージ1067mm全線単線の路線でした。 ローカル色豊かな電車が1両で走ることが多かったようです。

 

多々良川を渡る宮地岳線電車

 

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 始発駅の貝塚を出るとまもなく、多々良川に架かった趣のある石橋を渡ります。平行して、国鉄、鹿児島本線の橋梁もあり、列車撮影の好ポイントになっておりました。

 大牟田と県境を接して、熊本県荒尾市があります。ここに、全長5.1kmの荒尾市営電気鉄道(通称、荒尾市電)がありました。この年(1964年)の10月に廃止予定ということで、西鉄大牟田線特急に乗り、行きました。1949年開通から僅か15年で姿を消した薄命の鉄道でした。

 

荒尾市電101  荒尾

 

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 市電とは言っても、小型高床電車が鉄道線を走っていました。

 荒尾市電を撮ってから、鹿児島本線、長崎本線で諫早まで行き、バスで雲仙を越え、島原まで行ったようですが、これはかなり強行軍ではなかったかと思います。 島原で泊った証拠がありますので、確かでしょう!

(宮さん所蔵)

B 4月28日(火)

   島原―島原鉄道−諫早―(長崎本線)−長崎―長崎電軌−長崎―長与−(長崎本線、大村線)−彼杵−

   −(国鉄バス)―嬉野温泉 (泊)

 先ず、島原鉄道です。 島原半島の足として、半島の北岸の町を結んで、長崎本線の諫早から加津佐まで全長78kmの非電化鉄道です。国鉄準急形の気動車を持ち、国鉄にも乗り入れていました。

島原鉄道キハ5502  島原

 

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 国鉄の準急形気動車キハ55とおなじものであったようですが、帯が3本あり、アクセントを付けていました。

 

長崎電軌301

 

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 長崎は雨でした。雨に煙る坂の町は情緒がありましたが、電車を撮るコンディションは良くありませんでした。 長崎電軌は坂の多い長崎の街に似合う電車でしたが、訪問時の路線網が現在まで、殆ど変っていないのも珍しいと思います。

 

 長崎付近の国鉄では、気動車化が進む中で、蒸気機関車が最後の奮闘をしておりました。

このアイコンをクリックして、一寸ご覧頂きたく思います。

C 4月29日(水)

    嬉野温泉―(国鉄バス)−武雄―(佐世保線)−肥前山口−佐賀−(佐賀線)―瀬高−(鹿児島本線)−熊本

   ―(熊本市)−水前寺―(豊肥本線)−立野…戸下温泉(泊)

 

 1987年(昭和62年)に廃止になった佐賀線経由で熊本に入りました。佐賀線の名物、筑後川に架かる昇開橋は、気動車の

運転台の窓から写しただけでした。 昇開橋は大型船舶を通す為、列車の走らないとき、橋桁の中央を23mほど、上げている珍しい橋で、産業遺構物として、現存しているようです。

 

佐賀線筑後川昇開橋

 

  この日は熊本市電を訪れました。

 

熊本市電123   市役所前

 

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 日本初のLRTの導入などで、最近も話題が多い熊本市電ですが、当時は、南熊本駅、藤崎宮前などにも路線が達しておりました。市の中心の熊本城を見上げる市役所前電停付近は今でも大きく変らないように思いますが、ブルーとクリームのツートンカラーの電車はなにか、落ち着きがありました。

 

 南熊本駅に隣接した3月に廃止になった熊延鉄道の車庫には未だ、殆どの車両がありました。

その模様はをクリックするとご覧頂けます。  

 

 この夜は、阿蘇南麓の白川、黒川の合流点にあった戸下温泉に泊りました。温泉の浴槽の縁には、高森線、豊肥本線の路線がタイルで描かれており、眼前の高森線白川鉄橋の上を通るC12を眺めながら、温泉に浸かったのは忘れられません。戸下温泉はもうありません。

D 4月30日(木)

    立野 (スイッチバック付近で撮影)―(豊肥本線)−熊本―上熊本ー(熊本電鉄)−熊本−

  (鹿児島本線、肥薩線、吉都線)− 都城 −(志布志線)−志布志―油津 (泊)

 

  先ず、立野のスイッチバックを撮りました。

 

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上熊本より、熊本電鉄です。

 

熊本電鉄304

 

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 304形は元小田急1100形のようです。熊本の藤崎宮前から菊池温泉までが本線ですが、 この当時は元小田急の車が走っていることで、ファンを引きつけていました。今は、東急旧5000雨がえるが元の色で走っていることが注目を集めています。昭和28年から連続52年間、赤字経営(熊本電鉄ホームページ)とのことで、 路線を熊本の通勤圏内に短縮しました。しかし、依然として経営は厳しく、LRT化により、熊本市電に乗り入れることを提案していますが、自治体が資金を出さなければ、2008年には 姿を消すかもしれないようです。

   

 ループ線のある肥薩線をとおり、日南海岸の油津まで、九州を横断しました。肥薩線のループ線を行く、山越えで奮闘するD51は撮れませんでしたが、車窓は充分楽しむことが出来ました。

 

E  5月1日(金)

    油津―(宮崎交通バス)−鵜戸神宮―(宮崎交通バス)−さぼてん公園―宮崎交通バス)−青島−

  (宮崎交通バス)−南宮崎―(日豊本線)−鹿児島―鹿児島市−西鹿児島―(指宿線)−指宿(泊)

 

 当時の新婚旅行のメッカであった日南海岸を下見を兼ねて、紺と金文字が美しい宮崎交通バスで、巡りました。そして、鹿児島まで、南下して、鹿児島市電にお目にかかりました。

 

鹿児島市電416   西鹿児島駅前

 

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 当時の鹿児島市電は都電の影響が大きく、400形も元都電4000形(木造)ではないかと思います。都電7000形に類似した新造車もありました。最近は国産LRVを入れたりして、車両の増強を行っているようですが、路線網は縮小されたようです。

 この夜は、ジャングル風呂で有名な指宿観光ホテルに泊りました。

 

(全て宮さん所蔵)

 

 この頃のこのホテルは新婚旅行の定宿で、ジャングル風呂は混浴でした。ジャングルの中の風呂に入ってしまえば、他からは見えないということだったようです。宮さん、Sさんと男3人の浴客は場違いであったかもしれません。

 

F 5月2日(土)

   指宿―(指宿枕崎線)−枕崎―(南薩鉄道−伊集院―(鹿児島本線)−西鹿児島19:15−(日豊本線512レ)―

 

 前年、昭和38年10月に西頴娃〜枕崎間が開通したばかりの指宿枕崎線で枕崎、最南の私鉄、南薩鉄道にご対面です。鹿児島本線伊集院まで、約50kmの非電化路線で、国鉄キハ07 、キハ10とおなじ気動車が走っていました。訪れた年1964年(昭和39年)9月にバス会社と合併し、鹿児島交通枕崎線になり、昭和59年 (1984年)、全線廃止になってしまいました。

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 この夜は西鹿児島発門司港行夜行普通列車512レに乗り、大分県の中津まで北上しました。寝台車も連結されており、奮発しました。宮さんはSさんと阿蘇に行き、別行動になりました。

 

G 5月3日(日)

   6:35中津6:56―(大分交通耶馬溪線)―8:24守実温泉 −(バス)−日田−(久大本線準急「はんだ」3703Dレ)

  湯布院−(久大本線、日豊本線、準急「由布」605Dレ)12:31杵築12:35―(大分交通国東線)−14:06国東14:47

 (大分交通国東線)−16:18杵築16:28―(日豊本線606Dレ)―16:50別府 (泊)

 

 中津から早速、大分交通耶馬溪線に乗り、終点、守実温泉まで行きました。有名な青の洞門の近くを走りました。約36kmの山国川に沿って走る非電化路線でした。

 

大分交通耶馬溪線601「やまびこ」

 

 戦前のディゼルカー改造の気動車以外に、国鉄キハ10をベースにした前面2枚窓のトルコン付気動車も入っていました。4輪客車も残っておりましたが、当時は未だ、輸送需要がかなりあったようです。この路線は 1971年(昭和46年)、部分廃止され、1975年(昭和50年)には全線廃止されてしまいました。

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 終点、守実温泉から九大本線日田にバスでぬけたようです。日田から気動車準急を乗り継ぎ、日豊本線杵築まで来ました。

 次は大分交通の国東線です。線杵築から国東まで、国東半島を行く、約30kmの非電化路線でしたが、昭和36年の集中豪雨で鉄橋が流出して、安岐ー武蔵間が不通になっておりバス連絡でした。

 

大分交通国東線キハ50「ちどり」   安岐

 

 キハ50は前面が傾斜した流線型でユニークな気動車でした。元北九州鉄道のディーゼルカーを国鉄から譲り受けたもののようです。

 孤立した武蔵ー国東間も鉄道による折り返し運転を行っていましたが、この年1964年(昭和39年)8月に安岐ー国東間が廃止になり、残りの杵築ー安岐間も1966年(昭和41年)に廃止になってしまいました。

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 この夜は宮さんと合流して、別府温泉です。

H 5月4日(月)

  別府―(大分交通別大線)−高崎山―(大分交通別大線)−かんたんー大分駅―(日豊本線)−宇佐

  ―(大分交通宇佐参宮線)−宇佐神宮―(大分交通宇佐参宮線)− 宇佐15:27−(日豊本線急行「べっぷ」)

  ―16;37小倉18:57?―(山陽本線、急行「阿蘇」??)

 

I 5月5日(火) 

   ―5:32?大阪ー(近鉄、布施駅で近鉄電車を撮影)−大阪11:00?ー(東海道本線、急行「いこま」??)−18:30?東京

 

 旅も終わりに近づきました。

別府からは大分交通、別大線です。

 

大分交通別大線506   高崎山

 

 別大線は名前のように、別府と大分を結んでおり、大分駅前ーかんたんー別府北浜ー亀川駅前18km、ゲージ1067mmの軌道線でした。大分市内、別府市内は複線併用軌道、大分、かんたんから別府、両郡橋間は別府湾に沿った別大国道の端を 単線専用軌道で走っていました。途中に野猿で有名な高崎山がありました。低床式電車でしたが、比較的大形で、別大間はかなりのスピードで走っていました。2両固定連結車も新造して、大分交通の大半を稼いでいたようですが、 1972年(昭和47年 )、別大国道(国道10号線)の混雑解消のため廃止されてしまいました。

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 この後、大分交通宇佐参宮線を廻りました。宇佐参宮線は宇佐神宮参詣の為の8.8kmの短い路線でした。バス化により    1965年(昭和40年)に廃止になりました。

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 大分付近の国鉄も垣間見ました。

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宇佐参宮線を撮り終わり、宇佐駅より、気動車急行「べっぷ」で小倉に出ました。ここから、多分、急行「阿蘇」で大阪に行き、近鉄、布施駅で、大阪線、奈良線の電車を少し撮りました。

 

近鉄2代目ビスタカーモ10100系  布施

 

 近鉄では既に、2代目ビスタカーが活躍しておりました。

 


 以上、おぼろげな記憶と宮さんからお借りしたアルバムを辿り、訪れた鉄道の印象を少し、お話いたしました。これらの鉄道で現在も健在なのは、

           西鉄(大牟田線、宮地岳線)、筑豊電鉄、島原交通、長崎電軌、熊本市電、熊本電鉄、鹿児島市電

のみで、多くは見られなくなってしまいました。このうち、西鉄宮地岳線の津屋崎ー筑前新宮間、島原鉄道の島原外港ー加津佐間がまもなく、廃止になる予定で、熊本電鉄も行方が気がかりです。

 これらの鉄道が活躍していた昭和39年に訪れることが出来たのは、幸せなことと思います。

 

尚、このページを作成するに当り、宮さんから多大な協力を頂いた事を感謝いたします。

改定(2007-7-25)

(2006-12-17)


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