信越本線松井田駅付近D50,D51の奮闘

 1962年(昭和37年)

 

 信越本線の難所、碓氷峠がアブト式から、強力な電気機関車を使った粘着式新線に1968年(昭和38年) 7月に移行するのをひかえ、高崎ー横川間も1962年(昭和37年)10月に電化されることになりました。信越本線は直江津まで、急勾配が多く、この区間も碓井峠の登り口、横川近くでは25パーミルの急勾配が続き、D50、D51が奮闘していました。

 1962年(昭和37年)4月、友人とその最後の奮闘をカメラに収めるべく、松井田に行きました。

 磯部駅から横川方面にゆき、碓井川を渡ったあたりから勾配区間が始まり、まもなく、スイッチバック駅、松井田に着きます。まだ、広大な山の裾野という感じのところで、山間のスイッチバック駅という雰囲気はなく、横川に向かって、右側に広い松井田駅が分岐していました。上の写真で手前の直線の線路が本線で、右側が磯部方向、左手前が横川方面です。上方に松井田駅に向かう線路が3線もあり、本線との間に信号 扱所があります。

  信号扱所には松井田駅構内の全ての転てつ器(Point)を操作する転てつて子(Point Lever)が27本も並んでおり、壮観でした。2人の係員が操作していましたが良く、間違わないものだと思いました。

信号所から見た松井田駅構内です。上下線も含めて、4線もありました。線路の脇には信号扱所の転てつて子の動作を転てつ器に伝えるパイプが並んでいます。

 横川からD51重連(先頭D51628)で牽引する上り普通列車が進入してきました。列車の後方、左側にカーブしているのは、スイッチバックの引き揚げ線です。 

 D51牽引の下り貨物列車がバックで松井田駅に入ってゆきます。信号所の横の本線上の急行用タブレット受け器の前から見たものです。

 このD51745牽引の下り貨物列車が松井田駅で一休みの後、横川に向かって発車してゆきました。

D50321+D51重連で牽いた下り貨物列車が松井田に登ってきました。

 この列車も一休みの後、盛大の黒煙を上げて、これから急坂にチャレンジします。

  下り普通旅客列車がスイッチバックの引き上げ線に入って行きます。

 引き上げ線で、一旦停止です。勾配標を改めて見ますと、フラットではなく、入口付近が2.5パーミルの下り勾配、中間から3.5パーミルの登り勾配になっています。急勾配を登ってきた機関車が入口付近で絶気して、引き揚げ線に入り、緩やかに停止をすることを助けているのでしょう。

 上り普通旅客列車が信号所脇を磯部に向かって下ってゆきます。列車の後方に横川に向かって本線が真っ直ぐ延びていましが、この列車の後尾の客車は左方向にカーブしている引き揚げ線にまだあるようです。

 D51113牽引、下り急行「白山」金沢行が本線上を通過して行きます。 既に、気動車特急「白鳥」は運転され、上野ー長野間にも気動車急行「志賀」が運転されていましたが、軽量客車ナハ11系が主な10両編成の「白山」は信越線の盟主という貫禄がありました。信号所脇のタブレット受けに磯部ー松井田間のタブレットを投げ、松井田ー横川間のタブレットを受け取ります。

 機関車や気動車にタブレット受取器が付いておりましたが、白山は機関士が手で受け取ってゆきました。

急行「白山」はD51単機牽引でした。軽量客車が主でしたので、単機で充分なのかもしれません。

 D51124牽引、上り準急「妙高1号」直江津発上野行が通過してゆきます。

 下り普通旅客列車が碓氷川に沿って、横川に向かっております。

 D51745が貨物列車を牽いて、松井田から横川に向かう25パーミルの急勾配で奮闘しています。

 D50+D51重連も貨物列車を牽いて急勾配を横川に向けて頑張っております。[高一」(高崎第一機関区)のD50、D51は『集煙装置』を付けていないものが多く、煙を空高く、吹き上げ見事でした。

 

 電化に伴い、松井田駅は碓氷川橋梁の磯部寄りに移設され、スイッチバック駅は廃止されました。新駅の位置が町と離れていましたので、西松井田駅がスイッチバックの入口であった本線上に開設され、ローカル列車のみ停車するようになりました。信越線のスイッチバック駅は主要幹線上ということもあり、規模が大きかったと思いますが、御代田駅と共に、電化に伴い姿を消してしまいました。

 

 43年も経ちますと、フイルムが経年変化を起こし、キズ、シミが入り、粒子も粗くなるものがあります。今回の画像のフィルムはそのような状態の為、見づらいものもありましたが、昔の思い出として、敢えて載せましたことをご了承願います。

 

(2006-9-6)

 


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