岐阜市内線を中心として、名鉄の揖斐・谷汲線、美濃町線がありました。架線電圧がDC600Vでしたので、名鉄岐阜600V線と呼ばれておりました。岐阜駅前から徹明町を経て忠節まで、徹明町から長良北町までの岐阜市内線、忠節から西進して黒野を経て新揖斐までの揖斐線、黒野から分かれて谷汲観音で知られる谷汲までの谷汲線、徹明町から東進して、刃物の町、関を経て、美濃に至る美濃町線の路線がありました。
 これらの路線を走る車両の補修、検査を行う岐阜工場(、岐阜検車区)が各務ヶ原線に沿って作られ、美濃町線の競輪場前から、連絡線が作られましたが、これを利用して、美濃町線の電車を各務ヶ原線に乗り入れ、新岐阜発着にして、名古屋方面への接続の利便性を向上することが、考えられました。


モ600形モ603 急行美濃行  田神~市ノ坪    1974-3-16

 各務ヶ原線田神駅から分岐して、市ノ坪電停を経て美濃町線競輪場駅に至る田神線と呼ばれる連絡線には架線電圧DC1500Vの各務ヶ原線に乗り入れるためのデッドセクションがあり、直通するためには複電圧車が必要でした。これが600形で、細身の真紅のからだに白線を巻いたちょっとチャーミングな電車でした。クロスシートを備え、美濃町線の急行に使われていました。
 彼女に会うため、1974年(昭和49年)春、友人と岐阜を訪れました。

 岐阜駅前


モ570形モ575忠節行とモ550形モ553長良北町行  新岐阜駅前   1974-3-16

 岐阜市内線は1950年より製作されたモ570形、それを受け継いだモ580形、モ590形と元北鉄金沢市内線2000形→モ550形、同じく2200形→560形で運転されていました。モ570形は都電6000形のデッドコピーのような路面電車でした。モ550形は細身で背が少し高いようでした。長良北町方面には急カーブがあり、モ570形は入れませんでしたが、車幅が狭いので、運転できましたので、もっぱら、モ550、560形で運転されていました。 


モ550形モ559長良北町行  新岐阜駅前   1974-3-16

  北陸鉄道金沢市内線の電車とは旧知の仲で、色こそ異なりましたが、同じ、塗り分けで、オリジナルのイメージを損なわず、元気で走っているのを見て、嬉しく思いました。都電形電車と並んでも堂々と金沢タイプを主張しているのは、見事と思いました。金沢市内線については上のアイコンをクリック頂ければ、ご覧いただけます。 

忠節橋

 岐阜と言えば長良川です。長良川に架かる忠節橋ですこし撮りました。


モ560形モ566忠節行  早田~西野町   1974-3-16 

 元金沢市内線2200形のモ560形、モ566忠節行が忠節橋を渡って来ました。モ550形に比べ、張り上げ屋根、非対称扉でよりスマートになっております。


モ510形新岐阜行  早田~西野町   1974-3-16 

 クラシックなモ510形が忠節方面から登って来ました。


モ520形モ526 新岐阜行  早田~西野町   1974-3-16


モ520形モ522 急行揖斐行  早田~西野町   1974-3-16 

 揖斐線の急行はモ510形、モ520形で運転されていました。忠節から岐阜市内線に乗り入れ、新岐阜まで行っていました。揖斐線内は2連で運転しますが、市内線内は切り話し、単行で走りました。 

揖斐線


モ510形モ513(後尾) 急行谷汲行  忠節   1974-3-16


モ520形モ522(後尾) 急行本揖斐発新岐阜行  黒野   1974-3-16

 揖斐線の市内線直通急行には前面たまご形5枚窓のクラシックなモ510形、モ520形が使われていました。モ510形は美濃町線の前身美濃電気軌道が1926年(大正15年)に製作した半鋼車で、モ520形はこれに先立ち1923年(大正12年)に作られた木造車で、表面に鉄板を張ったニセスチールカーになっていました。1967年(昭和42年)に揖斐線の市内線直通急行用に使用するため、クロスシートを装備、スカーレットと白のツートンカラーにして、生まれ変わりました。揖斐線内で2連で運転するため、 総括間接制御(HL)に改造されました。モ520形は揖斐線内は制御車として運転するため、本揖斐側運転台にHL用マスコンを追加しましたが、2個モータのままで、市内線単独運転のときはダイレクト・コントローラ運転したようです。モ510形は.揖斐線内での高速性能を維持するため、4個モータに換装されました。


モ700形モ704(先頭)黒野行  美濃北方   1974-3-16


モ700形モ704 黒野   1974-3-16

 鉄道線の揖斐線、谷汲線には高床式電車モ700形が配属されていました。モ700形は旧名古屋鉄道が1927年(昭和2年)に本線用に作られた半鋼製電車ですが、DC1500V化に伴い、支線に転属になり、瀬戸線から、ここに来ました。


モ760形モ767 黒野   1974-3-16

 同じく、瀬戸線で活躍していた、モ560形、モ567がモ760形、モ767と改番され、揖斐線に来ていました。


伊自良川橋梁を渡るモ520形+モ510形  尻毛~旦ノ島   1974-3-16


伊自良川橋梁を渡るモ700形2連  尻毛~旦ノ島   1974-3-16

 尻毛という愉快な名前の駅で降り、伊自良川橋梁を渡る電車を取りました。市内線直通の急行は(揖斐側)モ520形+モ510形(忠節側)の編成です。同じ、全面たまご形5枚窓ですが、モ510形は2段上昇窓で、戸袋に丸窓がありますが、モ520形は一段下降窓で、丸窓はありません。

美濃町線


モ600形モ604急行美濃行  下芥見   1974-3-16


モ580形モ581普通徹明町行  下芥見   1974-3-16

 美濃線の急行はモ600形で運転され、競輪場前から田神線に入り、新岐阜駅に入りました。普通電車はモ580形などで運転し、徹明町発着でした。美濃線は全線乗る時間が無く、下芥見で降り、少し、撮りました。


モ600形急行新岐阜行  岩田~下芥見   1974-3-16

  美濃町線は徹明町から北一色駅と野一色駅の間まで、国道156号線の真ん中の併用軌道を走り、それから、専用線に入ります。しかし、琴塚駅の手前から専用線は国道の脇を走ります。そして、下芥見駅の少し手前で国道と分かれます。これは下芥見駅の岐阜寄りの専用線を走るモ600形急行新岐阜行きです


モ570形モ571 普通新関行  岩田~下芥見   1974-3-16

  上の写真より100m程岐阜寄りの国道156号線と分かれる美濃町線を行くモ571、普通新関行です。

岐阜工場


モ560形モ561とモ600形モ602  岐阜工場   1974-3-16

 岐阜工場で元金沢市内線2000形のモ560形とモ600形が並んでいました。細身で、前後が絞られているのは同じで、ひょっとして、モ600形はモ560形をイメージして作られたのかも知れません。


モ590形モ591  岐阜工場   1974-3-16

 都電形の最新鋭のモ590形も岐阜工場におりました。

 
モ180形モ182+モ181  岐阜工場   1974-3-16

 モ180形は琴平急行電鉄(坂出~電鉄琴平)が1929年(昭和4年)に製作した半鋼製電車デ1形で、同電鉄が営業休止した1944年(昭和19年)に名鉄に来たものです。揖斐線で走っていましたが、訪れたときは既に廃車になり、岐阜工場に留置されておりました。

 名鉄岐阜600V線は2005年(平成17年)4月1日に全線廃止になりました。それまでに、積極的にセミ低床車などを入れましたので、廃止から30年前の訪問時の景色は大きく変わっておりました。ある意味では、このアーバン路線網の最盛期の姿であったのかも知れません。 
 訪れたときは仕事も忙しくなり、撮りっぱなしで、メモも残しておりませんでした。依って、お気づきのことがありましたら、下のポストをクリックし、メールでご連絡頂きたくお願い致します。

参考ウェッブサイト
   ヴィキペディアフリー百科事典「名鉄市内線」「揖斐・谷汲線」「美濃町線」など
謝辞
 地元の「HNの西宮後」様から貴重なご教示をたくさんを頂きました。ご教示に基づき、画像の追加と構成もかえ、更新致しました。おかげ様で、本ページは価値もあるものとなりました。深謝致します。なお、今回、ご指摘により、訂正した個所は青字で示しております。

(2013-9-21)
(2013-11-10)改訂



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