三重交通は松坂、四日市と桑名を起点とした762mmナローゲージの路線を持っておりました。四日市起点の路線は1961年(昭和36年)当時は現在の近鉄湯の山線(1435mmに改軌)と内部・八王子線が一体で三重線と称しておりました。

 ここに、762mmゲージの軽便鉄道ではピカイチの新しい電車が走っておりました。1961年(昭和36年)2月に一目見てみたいと、訪ねました。


近畿日本四日市駅にて出発を待つ4400形湯の山行         1961-2-19

かって、近鉄は急カーブで国鉄四日市駅に乗り入れていましたが、1956年(昭和31年)に短絡線を作り、そこに独自の近畿日本四日市駅を作りました。三重交通は、旧線上の諏訪駅が起点でしたが、諏訪駅が廃止になり、近畿日本四日市駅に乗り入れました。近鉄名古屋線ホームの西側に広いホーム2面を持つ、軽便鉄道とは思えないものでした。6番線には4400形湯の山行が発車を待っておりました。左隣の5番線には内部行、右の7番線には八王子行電車が停まっておりました。当時、湯の山線、内部線は多くの列車がスルー運転をしていたようです。


4400形 4401M+4401T+4401M             近畿日本四日市            1961-2-19


4401 車内            近畿日本四日市            1961-2-19


4401 電動台車            近畿日本四日市            1961-2-19


4401 連接台車            近畿日本四日市            1961-2-19

 4400形4401は4401M+4401T+4401M3両の連接車で、はパンタグラフを持ち電気関係の機器が装備され、はブレーキ関係の機器が取り付けられておりました。電動機は両端の台車に45kW2台、計4台が装荷され、駆動方式は神鋼電機が開発した垂直カルダン方式で最高速度は50km/hでした。全金属製、軽量化車体で、全長は32.2mで、台車には空気ばねこそありませんでしたが、乗り心地改善のため、枕ばねにはオイルダンパーが取り付けられておりました。当時の最先端技術を使った電車とも言えました。1959年(昭和34年)8月日本車両(本店)製。また、この電車は三重交通762mmゲージ線における初めての総括制御電車でもありました。


(モ201+サ101)+モ202                      西桑名    Ceder様撮影      1968

1964年(昭和39年)3月1日に湯の山線は1435mmゲージに改軌され、4400形は北勢線に移動しました。1965年の三重電鉄ー近鉄移管時には、モ201+サ101+モ202に改番され、マルーン一色になりました。垂直カルダンのメンテナンスの問題により、1971年に電装解除され、サ201、サ202になり、直接制御のモニ220形に牽引されることになりましたが、1977年から開始された北勢線近代化事業により、新造のモ270形と総括制御、貫通固定編成を組むことになりました。


モ271+サ201+サ101+ク202 オリジナルカラー  楚原~麻生田    「HNの西宮後」様撮影   2013-12-14

 昨年(2013年)秋から4400時代のオリジナルカラーにして走っている姿を「HNの西宮後」様から頂きました。モ270形に合わせたヘッドライトの2灯化、方向幕、それに軽便鉄道の象徴のような朝顔形(ピンリンク式)簡易連結器が小型の自連に変わっており、印象が大分変りました。

    
 モ271+サ201+サ101+ク202 近鉄ツートンカラー 1995-7 阿下喜         三岐鉄道色 麻生田~楚原 2011-10-2    「HNの西宮後」様撮影 

近鉄のツートンカラー時代と三岐鉄道色の200形の写真も「HNの西宮後」様から頂きました。この電車は北勢線に移ってからも、看板電車であり続けているようですね。


サ161+モニ213              赤堀ー近畿日本四日市            1961-2-19

近鉄名古屋線の線路と平行して、内部方面よりモニ213がサ161を牽いて、近畿日本四日市に向っています。電動車が客車を引っ張る軽便鉄道の典型的な列車でした。


近畿日本四日市駅構内            1961-2-19

 三重交通の近畿日本四日市駅構内は軽便鉄道としては広々としておりました。
2月19日に湯の山に行き、ロープウエーでご在所岳に登り、湯の山温泉に泊まりました。往きの切符は国鉄の遠距離切符と同じ、大きさでした。翌20日に四日市に戻る切符は当時の一般的な近距離切符でした。この往復の道すがら、お目にかかった当時の電車たちをご覧頂きましょう。

  
 

モニ214                            菰野    1961-2-19


モニ213           近畿日本四日市     1961-2-19

 モニ211形モニ211~214は1928年(昭和3年)田中車両製の半鋼製ボギー車です。一段下降窓で、昭和初期のスタイルでした。付随客車を牽いており、貫通ブレーキを有しておりましたが、総括制御ではなかったようです。


モ240                       1961-2-20

モ240形モ240はモニ211と同じ時期に客車として作られたものを戦後電装したもので、同じスタイルですが、荷物室はありません。


モ260           近畿日本四日市     1961-2-20


モ260                1961-2-19

 モ260形モ260は元松坂線の1928年(昭和3年)日本車両製の付随客車を電装して、三重線に配属されたもので、モニ211形が平妻であったのに対し、丸妻になっており、すこし、やわらかな顔つきでした。


モ260                1961-2-19

 一つ上の写真のモ260はノーシル・ノーヘッダーで張り上げ屋根の新しい付随客車を牽いておりました。サ2000形です。これは1960年(昭和35年)から日本車両で作られた全金属製で4400形のT1とほぼ同じ車体でしたが、ドアー間の側窓がひとつ多くなっています。この車は1962年(昭和37)まで作られ、サ2001~2007まであったようです。4400形の後で、このような新しい付随客車を作ったのは、最新形連接電車は高かったのかも知れません。付随客車はすべて4軸ボギー車で、総勢19両ありました。4400形以外の電動車はほかに1948年製のモニ221形モニ228、229があり、総勢10両で、4400とともに三重線を担っていました。 


デ72                1961-2-19

 電気機関車デ71形、デ72もおりました。小さな有蓋貨車、無蓋貨車も見えますが、貨物営業はやっていたのでしょうか?
三重交通の資料では改軌直前の昭和38年9月時点で三重線には無蓋車19両がおり、有蓋車は既にいなくなっています。かつて三重線沿線では高角駅や内部駅からは砂利側線が河原に延びて砂利輸送が盛んだったようです。なおデ72はラッシュ時に伊勢八王子~近鉄四日市で客車列車も牽いていたとか。「HNの西宮後」様
近鉄四日市(1970年に改称)~湯の山温泉間は標準軌1435mmゲージに改軌されましたが、近鉄四日市~内部、西日野間は近鉄内部・八王子線として762mmゲージのまま、運行されています。採算性から、BRT化も提案されたようですが、四日市市が路線を保有する形で、存続が決まったようです。近鉄から分離され、三岐鉄道の路線になった北勢線とともに、現在も運行されている762mmゲージの軽便鉄道としては、唯一のものになりました。

謝辞

  「HNの西宮後」様より、200形の画像提供、撮影場所の同定、種々の貴重なインフォメーションを頂きました。深謝致します。「HNの西宮後」様のホームページ、ブログを以下に紹介、リンクさせて頂きます。
   西宮後停留場:http://nishimiyaushiro.web.fc2.com/
   Blog:http://nishimiyaushiro.blog18.fc2.com/  
謝辞
  Ceder様より、北勢線移籍後、電動車として活躍していたときの貴重な画像を提供頂きました。深謝致します。Cederさんの
ブログを紹介させて頂きます。
   Cederの今昔写真日記 http://cedarben.blog.so-net.ne.jp/   

参考文献&サイト

  鉄道ピクトリアル通巻99号1959年10月号 [わだいのくるま・・・・60] 762mm軌間新連接電車4400形
  鉄道ピクトリアル通巻145号号臨時増刊 私鉄車両めぐり第4分冊 三重交通三重線

 ヴィキペディアフリー百科事典「三重交通4400形電車」

(2014-2-21)




 


軽便鉄道シリーズ

 狭軌の国鉄より更に1フィート狭い2フィート6インチ(762mm)ゲージの軽便鉄道が全国各地にありました。ほとんどがバスとの競争に敗れ、昭和30年代から40年代はじめに姿を消しました。本ページ以外に下記の軽便鉄道の最後の姿をご覧頂けます。(下のアイコンをクリックして頂くとご覧頂けます。)

                                                  (610mmゲージ)

 


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