1981年(昭和56年)に長野〜善光寺下が地下化されることになり、地下鉄の安全基準に合わせた電車が必要になり,東急電鉄から5000形を譲受し、2500形になりました。青蛙が赤蛙に変身しました。しかし、外板の腐食が進み、1993年から営団、日比谷の3000形を3500形として、導入することになりました。1993年(平成5年)5月、友人とその最後の姿を収めようと訪れました。長野電鉄の沿線の代表的な風景のりんご畑をゆく、2500形と特急2000形そして、最後のオリジナルカー、OSカーも元気に走っておりました。
普通長野行2500形、2505(先頭) 北須坂〜須坂 1993-5-9
普通長野行2500形2504(先頭) 須坂〜北須坂 1993-5-9
普通長野行2554(後尾) 須坂〜北須坂 1993-5-9
特急車2000形は冷房化され、配色も変わっておりました。
特急湯田中行2000形2006(先頭) 須坂〜北須坂 1993-5-9
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特急湯田中行2000形2007(後尾) 須坂〜北須坂 1993-5-9
OSカーも健在でした。1966年に登場した0形は20m、4扉、前面にFRPを用いた高性能WN駆動の通勤輸送を改善する画期的な電車でした。Officemen & Students Carの頭文字を取り、OSカーとしました。
OS2 クハ52+モハ2 各駅停車、湯田中行 北須坂〜須坂 1993-5-9
OSカーで始まったレッドとクリームのツートンカラーは2500形にも受け継がれ、りんご色とも言われるようになりました。そのりんご色の電車がりんご畑の中を走る姿を撮りました。5月ではりんごの実は袋の中でしたが、雰囲気だけはお伝え出来たと思います。この後、営団日比谷線3000形を3500形として入り、りんご色は過去のものになりました。、
参考文献
鉄道ピクトリアル 通巻182 1966年4月号 中川浩一 「長野電鉄OSカーを見る」
(2020-4-30)