長野電鉄
(ツートンカラー時代−1977年頃)
長野電鉄(1957〜61年)として、40年以上前の長野電鉄をご覧頂きましたが、このページでは、マルーンが赤とクリームのツートンカラーになった時代をご覧頂きましょう。
1151+1102+1101 信濃吉田
1101+1102+1151 信濃吉田ー桐原 1151+1102+1101 信濃吉田ー朝陽
モハ1100形(1101、1102)は元信濃鉄道の木造車、モハ1、クハニ61の鋼体化改造名目で、1961年(昭和36年)に日車で製造された全鋼車です。クハ1150形(1151)は同じ木造車クハ51の鋼体化名目で同年に製作された全鋼車です。実際には車体は新製で、旧車の電動機、制御装置等のみを使ったようです。 初めは、マルーンでしたが、ツートンカラーが良く似合う車でした。後年、豊橋鉄道に譲渡されました。
OSカー モハ1+クハ51 桐原ー信濃吉田
OSカー モハ2+クハ52 桐原ー信濃吉田 OSカー モハ1+クハ51 桐原ー信濃吉田
OSカー(Office&Student Car?)として、通勤電車の新車を1966年(昭和41年)に登場させました。20m、4扉、前面にFRPを使った斬新なスタイルは1967年の鉄道友の会のローレル賞を受賞しました。性能的にもWN駆動、大容量電動機を備え、山之内線の急勾配にも対応できる優れた性能を持っていました。この車は 、構造的に冷房化出来ないため、ワンマン対応化もされず、晩年は、長野ー須坂間のラッシュ時にだけ使用され、元営団の3500形増備に伴い、1997年に廃車、解体されたようです。
モハ2004+サハ2053+クハ2003 桐原ー信濃吉田
モハ2003+サハ2053+クハ2004 桐原ー信濃吉田
特急用2000系もツートンカラーになりました。この車両にはこのツートンカラーも似合いました。
クハ1552 信濃吉田ー朝陽 モハ1003 桐原ー信濃吉田
1000系もツートンカラーになり、容貌が大きく変わりました。一部の車は貫通扉が設けられ、行き先方向板も付けられました。個人的にはあまり好きではありませんが、まぁ、見れないこともありません。
モハ531+モハ611 信濃吉田ー桐原
モハ531+モハ611 須坂
モハ611+モハ531 信濃吉田ー桐原 モハ532+モハ612 須坂
戦前の昭和初期に作られた電車もツートンカラーになりました。なんとかの厚化粧とまでは言いませんが、なんとなく似合いませんでした。
モハ411 屋代線綿内?
モハ411 須坂 モハ1004 須坂
東武からの電車、モハ411は相変わらず、屋代線専用でした。この後、屋代線の運行も1000系になりました。
須坂駅構内
須坂駅構内も華やかになりました。
OSカーが就役した1966年(昭和41年)からは長野電鉄の黄金時代であったのかも知れません。この後、OSカー2世の10系が1980年に新製しましたが、その後、東急5000形、営団3000系の導入となり、その風景も大きく変わってしまいました。
参考文献
鉄道ピクトリアル第12巻、第8号、通巻134号 私鉄車両めぐり「長野電鉄」
(2006-1-25)