信越本線は1962年(昭和37年)7月15日に高崎ー横川間が電化されましたが、軽井沢ー長野間も1963年(昭和38年)6月10日に電化完成しました。碓氷峠、横川ー軽井沢間の粘着新線も完工し、7月15日から、軽井沢ー長野間はEF62による電気運転が予定されていました。これまで、D51は最後の頑張りを見せていました。

 

D5195牽引の上り旅客列車 御代田ー信濃追分 1963-6-30

 

 真新しい架線の下を信濃追分に向う最後の急こう配を登る半流型D51です。門デフに似た長工デフを備え、長野区の白いラインが映えています。既に、EF62牽引の列車も運転されていましたので、7月15日を待たず、姿を消したのでしょう。

 

上り気動車急行「妙高」上野行キハ57系  中軽井沢ー軽井沢  1963-6-30

 

 未だ、信越本線の主力急行列車はキハ57で運転されていました。これも、後3ヵ月で、電車化されました。

 

165系試運転電車  信濃追分ー中軽井沢  1963-6-30

 

 気動車急行を電車に置き換えるため、165系電車による試運転が行われておりました。10月1日から電車急行として走りはじめましたが、 当初は165系、8両編成で、横軽間は直通ブレーキのみ効かせ、力行はしませんでした。

 その先払いとして、7月15日から、80系の準急「軽井沢」が長野まで延長運転されました。これが、10月1日まで、碓氷粘着新線経由で上野ー長野間を直通する唯一つの列車になりました。

 1968年(昭和43年)10月1日のダイア改正で、横軽間でEF63と協調力行運転が出来る169系が登場し、ビュッフェ車も連結した12両編成の急行電車が信越線に走ることになりました。

 


 1年前の1962年(昭和37年)には未だ、架線もなく、普通列車はD50、D51に牽かれていました。

 

特急「白鳥」を待つD50124牽引普通列車長岡行311レ  田中  1962-7

 

  小諸から2ツ目の田中駅の退避線で特急「白鳥」の通過を待つ、D50牽引普通下り列車です。

 

田中駅通過の下り特急「白鳥」2003Dレ大阪行  田中  1962-7

 

田中駅の下り本線を上野発北陸本線経由大阪行特急「白鳥」 2003Dレが通過して行きます。D50124に牽かれた下り普通旅客列車311レは上野発信越本線経由長岡行です。 次の普通列車313レは上野発信越本線経由新潟行でした。この時代、未だ、信越本線全線を走破する普通列車があったのです。

 

 同じ年の早春であったと思います。小諸付近には未だ架線も建っていませんでした。

 

 D51669牽引上り普通列車 平原 ー御代田間 1962-3

 

 D51が普通列車を牽いて、軽井沢に向って登って行きました。

 

 D51重連で牽引下り列車 平原 ー御代田間 1962-3

 

 D51重連が小諸に下ってきました。先頭はD5171、半流型「なめくじ」でした。

 

 C56131牽引小海線上り列車 小諸 1962-3

 

 C56131牽引小海線上り列車 小諸 1962-3

 

 小諸駅にはC56が先頭の上り混合列車(ミキスト)が発車を待っていました。既に、小海線はほとんどの列車がキハ52などの気動車で運転されており、C56がミキストを牽く姿もあとわずかで、見ること出来なくなりました。

 

 信越本線は、電化、複線化、電車特急の活躍、やがて、長野新幹線開通で、篠の井ー軽井沢間は第3セクター「しなの鉄道」になりました。大きな変貌を遂げましたが、47年前の風景をすこし、ご覧頂けたと思います。 

 

謝辞

 地元ご在住のてっこ様よりアドバイスを頂き、下から3、4枚目の写真の撮影場所を訂正致しました。

 ご協力に深謝いたします。

 

  参考文献

  鉄道ピクトリアル1963年8月号、通巻148号 信越線電化特集  

 

(2009-4-8)

(2010-12-5)訂補
(2016-11-1)タイトル更新


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