1964年(昭和39年)に友人
と九州の鉄道を訪れたで4月28日は長崎でした。長崎電軌を堪能し、長崎駅に戻ると
、東京から寝台特急「さくら」1レがC60に牽かれ進入してきました。
C60 31牽引寝台特急「さくら」1レ長崎駅進入 1964-4-28
特甲線急行用C59を2C1から2C2に改造し、軸重軽減をしたC60は長崎本線でも走ることが出来たようです。特急牽引の蒸気機関車の多分最後 を飾るものであったと思います。「さくら」のトレーンマークを太いボイラーの前にかざして、 長崎駅に入ってきました。この当時、鳥栖までは電化されており、EF73に牽引され、そこから、長崎本線を鳥栖区のC60 31が担当したようです。
寝台特急「さくら」1レ長崎駅到着 1964-4-28
ブルートレーン寝台特急「さくら」は列車番号1レで、国鉄の看板列車と言えますが、東京からは20系14両編成ですが、後尾6両を博多で切り離し、長崎には8両で到着です。その為、後尾の客車も切妻貫通扉 付です。
貨物列車を牽くC57 196 長崎駅 1964-4-28
長崎本線も旅客列車が殆ど、気動車で運転されており、長崎本線の主役であったC57も貨物列車を牽いていました。門デフー門司鉄道管理局形デフレクタ(除煙板)ーを付けたC57はヨーロッパの機関車のような雰囲気がありました。
C57 195が先頭に立つ急行「雲仙」東京行 長与ー本川内? 1964-4-28
東京、大阪からの寝台急行にはまだ、蒸気機関車が活躍していました。長崎本線の山越えの区間、多分、長与ー本川内間と思いますが、C57 195が急行「雲仙」の先頭で、奮闘していました。
急行「雲仙」の後補機C11 308 長与ー本川内? 1964-4-28
C11 308が後押しをしています。
特急「かもめ」京都行と佐世保線キハ20 肥前山口? 1964-4-29
長崎本線と佐世保線の分岐駅、肥前山口と思います。長崎からの京都行キハ82系気動車特急「かもめ」2Dレが進入してきました。そのかたわらを佐世保線の普通気動車が去って行きました。(この画像は部分拡大の為、かなり粒子が粗く、お見苦しいとおもいますが、この時代のローカル幹線の雰囲気をご覧頂けると思いましたので、敢えて、載せました。)
C60 31牽引急行「第2玄海」長崎行 肥前山口付近? 1964-4-29
大阪からの臨時急行「第2玄海」と思います。前日、「さくら」を牽いていたC60 31が先頭に立っています。
準急「西九州」佐世保行 肥前山口付近? 1964-4-29
博多発佐世保行の気動車急行が発車して行きました。肥前山口で長崎行と分割して、お先に佐世保に向かって行きました。筑豊地区の各線では、未だ、蒸気機関車に牽かれた旅客列車が多く走っていましたが、長崎・佐世保線、大村線は夜行急行と一部のラッシュ時の列車以外は気動車化されていました。
私鉄、路面電車に専ら注目しておりましたので、国鉄は移動時に一寸、撮る程度で、あまり枚数もありませんが、東海道新幹線開業を10月に控えたこの年は九州の国鉄も近代化が進み、蒸気機関車は最後の踏ん張りを見せておりました。
この様子を少し、ご覧頂きたく思います。
尚、当時のメモも散逸しており、当時の時刻表などを参考に、推定しました。もし、なにか、お気づきでしたら、下記をクリック頂き、メールで、ご連絡頂ければ、ありがたく思います。
(2007-4-5)
(2016-11-2)タイトル更新