南薩鉄道は、鹿児島本線の伊集院より薩摩半島を縦断し、枕崎に達する49.6kmの本邦最南端の私鉄でした。
で、5月1日夜、指宿温泉でゆったり疲れをとり、翌2日も「開聞岳めぐり」を楽しみ、
前年(1963年)10月に開通したばかりの指宿枕崎線で、山川駅より枕崎
に向かいました。
枕崎行指宿枕崎線列車723Dレ 山川 1964-5-2
南薩鉄道概略路線図 宮さん所蔵
南薩鉄道、枕崎駅 1964-5-2
枕崎駅ホーム駅名表示板 宮さん撮影 1964-5-2
南薩鉄道枕崎駅は立派な駅でした。自社バス(南鉄バス)のターミナルにもなっているようでした。鹿児島行特急バスの大きな広告が駅正面に掲げられていました。バス事業に注力しているようでした。この年(1964年)9月に三州自動車と合併、鹿児島交通になりました。
DD1202 枕崎 1964-5-2
構内には凸形ディーゼル機関車DD1202が居ました。訪問時は旅客列車は全て気動車で運転されており、この機関車は貨物列車を専ら牽引しているようでした。1961、2年にDD1201、DD1202の2両が新製され、これにより、蒸気機関車は全てお役ごめんになってしまったようです。
鹿児島本線乗り入れ西鹿児島行キハ100形104 枕崎 1964-5-2
普通列車の中で3往復、鹿児島本線に乗り入れていました。枕崎発15時44分発 西鹿児島行に乗車しました。キハ100形は国鉄キハ07形をベースに1952年(昭和27年)に6両、新製したもので、張上げ屋根など、キハ07よりスマートです。こ の列車を乗りとおし、 西鹿児島に直行しましたので、南薩鉄道の車両は車窓からの観察だけになって終いました。
キハ300形と交換 津貫 1964-5-2
津貫駅と思いますが、ローカル色豊かな駅でキハ300と交換しました。
キハ300形 キハ302 加世田 1964-5-2
車両基地のある加世田でもキハ300形、キハ302と交換です。
キハ300形は1954年(昭和29年)に国鉄キハ10をベースに3両、新製した液圧式気動車でした。この2形式で旅客列車は全て運転されていました。
加世田駅構内には多くの蒸気機関車、木造客車が休んでいました。蒸気機関車の中には比較的車齢の若いC12もおりました。客車には木造4輪の明治のイメージがあるものもありました。これらは休車というより、廃車に近いもののようでした。
加世田駅構内の蒸気機関車・客車
|
キハ104の車内 宮さん撮影 1964-5-2
キハ104の車内は満席でした。枕崎から鹿児島への特急バスがあっても、鉄道の利用客もまだ多かったようです。
伊集院より鹿児島本線に入りました。
鹿児島本線信号所でD5149牽引上り普通出水行216レと交換 1964-5-2
途中の信号所で、初期半流形(通称ーなめくじ)のD5149が牽引する上り普通列車の通過を待ちました。鹿児島本線もこの区間は旅客列車もD51が使われていました。
鹿児島本線信号所でD51592牽引上り貨物列車と交換 1964-5-2
続いて、上り貨物列車も通過して行きました。家畜車もあり、さすが、薩摩黒豚で有名な鹿児島であると思いました
枕崎発3437Dレ終着西鹿児島に到着 1964-5-2
暮れなずむ西鹿児島駅に到着しました。午後6時を過ぎておりました。
以上で、南薩鉄道の通り抜けは終わりました。
この年の9月に合併により、鹿児島交通枕崎線となり、1984年(昭和59年)、全線廃止になってしまいました。
参考文献
鉄道ピクトリアル1965年7月号臨時増刊 通巻173号、私鉄車両めぐり、第6分冊] 南薩鉄道
(2007-6-20)
(2010-8-2)104カラーに差し替え
(2016-11-2)タイトル更新