(リニューアル版)

 

 草軽電鉄は日本最初の総天然色映画「カルメン故郷に帰る」の舞台になったり、いろいろな文学作品に登場し、小さな高原列車として、つとに有名でした。新軽井沢〜草津温泉間55.3km を3時間半もかけて走りましたので、長野原から草津への国鉄バスが走りはじめると、乗客が激減しました。台風で橋が流されたのをきっかけに1960年(昭和35年)4月に新軽井沢〜上州三原間が廃止になり、残る上州三原〜草津温泉間も1962年(昭和37年)2月に廃止になってしまいました。762mmゲージ、電化 した軽便鉄道でしたが、他の軽便鉄道に先駆けて、姿を消してしまいました。

 1959年(昭和34年)の3月と7月に軽井沢から、そして、1961年(昭和36年)7月には草津温泉から上州三原まで、名残りの草軽に出かけました。

早春の新軽井沢と旧軽井沢

 

新軽井沢駅       1959-3-14

 

 信越本線軽井沢駅前広場の向い右側に草軽電鉄の新軽井沢駅はありました。軽便鉄道としては大きく、立派な駅でした。2階には本社があるとのことでした。 3月中旬というのに雪があり、寒さに震えあがりました。

 

新軽井沢駅構内       1959-3-14

 

 構内は広大で、終端式の島式ホーム、2面、4線ありました。

 

デキ20とデキ12       1959-3-14

 

 草軽といえば、この姿が浮かぶ、デキ12形が2台いました。米ジェフリー社1920年製の鉱山鉄道用L形電気機関車で、東京電灯、信濃川発電所建設工事用のものを譲りうけたもののようです。後に、増備され、デキ12〜24までの13両ありました。

(長さ)約4.7mX(幅)1.6mX(高さ)約4.9mと小さく、独特な垂直型パンタグラフを除けば、キャブの高さは2m強であったと思われます。37kWx2の電動機を搭載し、牽引力、約1.7トン、速度、16km/hというものでした。エアー・ブレーキはなく、手ブレーキとダイナミック・ブレーキ(発電制動)のみでした。発電制動はそんなに大きな抵抗器を積んでいないようなので、非常ブレーキと思われます。


ホハ11、ホハ12

 

ホハ23

デキ12+ト28と車庫   新軽井沢       1959-3-14

 

 新軽井沢駅構内には車庫もあり、この鉄道の中枢が集まっているようでした。

 

モハ102   旧軽井沢       1959-3-14

 

 早春と言うより、まだ、厳冬の軽井沢は中心地の旧軽井沢も静まり返っておりました。3月に訪れた時は、ここまで、電車で往復しただけでした。

初夏の新軽井沢と旧軽井沢

 3月の軽井沢は人影もなく、閑散としておりました。少しは活気のある草軽に会いたくて、7月の中頃、再び、出かけました。旧軽井沢行の電車には乗客が多くいました。
            撮影 1959-7-19


新軽井沢駅で出発を待つ旧軽井沢行モハ101


車庫の前を通り旧軽井沢に向かう旧軽井沢行モハ102

 2両しかないモハ100形電車が新軽井沢〜旧軽井沢間を往復しておりました。


旧軽井沢駅で出発を待つ新軽井沢行モハ101 


新軽井沢行モハ101に多くの乗客が乗り込む 旧軽井沢駅



モハ101の車内
 

 モハ100形電車は1941年(昭和16年)製のモハ101〜103、1944年(昭和19年)にモハ104、105が増備され、5両になりましたが、栃尾電鉄(越後交通栃尾線)に3両、譲渡され、モハ101、102のみ残っていました。(メーカーは日本鉄道自動車) 前面3枚窓、切妻、側面窓は一段下降窓で、昭和初期のスタイルでした。エアーブレーキ付でした。車内はロングシートでしたが、出入り口との仕切り戸があり、寒冷地対策をしてありました。

 新軽井沢〜旧軽井沢間の区間運転のみにもっぱら、使われておりました。5両も作ったのは全線で運転する計画があったのでしょうか?でも、線路状態が悪く、断念したのかもしれません。

国境平から二度上

  撮影 1959-7-19

デキ16牽引の草津温泉行混合列車   国境平       1959-7-19

 

  長野と群馬の県境の国境平まで、デキ16の牽く、混合列車に乗りました。無蓋貨車と客車ホハ30を牽いて居りました。ここから次駅二度上まで、無蓋貨車に載せて貰いました。ホハ30の乗り心地もそれなりでしたが、貨車はレールから震動が直に伝わって来て、閉口したことを覚えております。


無蓋貨車に友人と乗車


草津温泉行混合列車  国境平〜二度上

 

ホト100無蓋緩急貨車を挟んだ新軽井沢行混合列車   国境平ー二度上       1959-7-19

 

 この列車は無蓋緩急貨車ホト100形を繋いでおります。細長い緩急室が印象的でした。シートの掛かった積み荷は硫黄でしょうか?

 

二度上駅に進入する新軽井沢行混合列車   二度上   1959-7-19

 

 二度上はスイッチバック駅でした。

 

二度上駅のデキ19牽引の新軽井沢行混合列車   二度上   1959-7-19

 

 この有蓋貨車は扉が開き、柵がありました。馬か牛がお客さんのようです。

 

 

 7月訪問時も二度上迄で、軽井沢に引き返しました。全線乗るには時間が足りなかったようです。

 

ホハ30   上州三原   1961-7-23

 

ホハ30形車内      1959-7-19

 

 訪問時、運用されている客車はホハ30でした。1933年(昭和8年)〜1938年(昭和13年)に日本車両で作られた半鋼製ボギー客車でホハ30〜33の4両がありました。車内は草津温泉に向って左側はクロスシート、右側がロングシートでした。クロスシートには枠がなく厚みのあるやや座り心地が良さそうな背ずりのものと国鉄3等車と同じく、木枠の入ったものがありました。

 

 上州三原〜草津温泉間のみになり、全線廃止も近くなった1961年(昭和36年)7月下旬に草津 温泉から入り、上州三原まで乗りました。谷所〜草津温泉間でオメガループを登る列車をキャッチしました。

 その時の様子は下にアイコンをクリック頂きますとご覧頂けます。

 

 

 

50年来の友人で、本サイト制作にあたっても、いろいろアドバイス頂いている

「むーさん」のホームページで、厳冬の草軽をご覧いただけます。

草軽電鉄・1958年12月

 

参考文献

  宮田道一著 「草軽のどかな日々」 RM LIBRARY 53 2003年12月1日発行 ネコ・パブリッシング

(2022-9-5)


 

軽便鉄道シリーズ

 狭軌の国鉄より更に1フィート狭い2フィート6インチ(762mm)ゲージの軽便鉄道が全国各地にありました。ほとんどがバスとの競争に敗れ、昭和30年代から40年代はじめに姿を消しました。本ページ以外に下記の軽便鉄道の最後の姿をご覧頂けます。(下のアイコンをクリックして頂くとご覧頂けます。)

(610mmゲージ)

 


(トップページ)(別館)

          (本館)