(リニューアル版)
1961年7月下旬に草津から入りました。草軽の草津温泉駅は温泉の中心、湯畑から坂を10分ほど登ったところにありました。木造のグリーンの駅舎が印象的でした。
草津温泉駅 1961-7-23
草津温泉駅改札から見たホーム 1961-7-23 草津温泉駅の時刻表 1961-7-23
終端式の島式ホーム、1面、2線線がありました。列車は6往復運転されていました。
谷所まで、先ず、行きました。
オメガループを登る草津温泉行列車(その1) 草津温泉ー谷所 1961-7-23
草津温泉行列車がオメガループに向います。谷間の向こうの左上方の柱が並んでいるところまで、登るのです。
オメガループを登る草津温泉行列車(その2) 草津温泉ー谷所 1961-7-23
オメガループを登る草津温泉行列車(その3) 草津温泉ー谷所 1961-7-23
オメガループを登る草津温泉行列車(その4) 草津温泉ー谷所 1961-7-23
右にカーブして、谷の間に築かれた築堤の上を走ります。
オメガループを登る草津温泉行列車(その5) 草津温泉ー谷所 1961-7-23
そして、谷の向うを登り、草津温泉に達します。
オメガ(Ω)カーブを下る上州三原行列車 草津温泉ー谷所 1961-7-23
上り、上州三原行が来ました。ホハ30のみを牽いております。このころには輸送する貨物もなくなっていたのでしょう。この列車に乗り、上州三原に行きました。
デキの運転室とホハのハンドブレーキを操作する車掌 1961-7-23
デキのキャブにはコントローラ、手ブレーキのハンドルと運転士の座席が窮屈そうに並んでいました。こんなところで長時間運転するのは大変であったと思います。写真の中にはややお疲れの運転士の姿もありました。下り坂では、車掌がホハ30の手ブレーキのハンドルを握っています。非常時に備えてのことか?、通常でもデキだけでは、ブレーキ力が足りないので、協調してブレーキをかけていたのでしょうか?
上州三原駅に進入する上り列車 1961-7-23
出発を待つ草津温泉行下り列車 上州三原駅 1961-7-23
上州三原駅構内の小さな車庫 1961-7-23
上州三原駅は小さな車庫もあり、トフ100などの貨車の向こうにモハ101も顔を覗かせております。
上州三原駅改札から 1961-7-23
上州三原駅と軽井沢行バスを待つ乗客 1961-7-23
駅前からは軽井沢方面への連絡バスが出ていました。観光客と思われる人がたくさん待っております。映画や文学で有名な草軽は女性に人気があったようです。
鉄道廃止後の北軽井沢駅 1961-7-23
鉄道廃止後の北軽井沢駅 1961-7-23
バスで軽井沢に向う途中、鉄道が廃止になった後のさびしい北軽井沢駅もありました。
軽井沢から信越本線の当時新鋭であったキハ57で運転の急行「志賀」に乗り、慌ただしく、帰りました。社会人1年生にはあまり休暇も取れず、日帰りの旅であったようです。
急行「志賀」上野行 軽井沢 1961-7-23
(2022-9-5)
軽便鉄道シリーズ
狭軌の国鉄より更に1フィート狭い2フィート6インチ(762mm)ゲージの軽便鉄道が全国各地にありました。ほとんどがバスとの競争に敗れ、昭和30年代から40年代はじめに姿を消しました。本ページ以外に下記の軽便鉄道の最後の姿をご覧頂けます。(下のアイコンをクリックして頂くとご覧頂けます。)